消閑の挑戦者
パーフェクトキング

 これはとてつもない偏見だけれど、大阪の女性といったら子供から老人までがもう、賑やかで話す言葉のすべてがギャグで、あるいは罵詈雑言で、慣れない耳には強く痛く響くものだと思ってた。というのも大阪弁を喋る女性を見るのはいつもテレビの中。でもって映っているのは吉本の漫才師か芸人たち。けたたましくも賑やかなのが大阪の女性だと刷り込まれてしまったという訳。不可抗力といってもいい。

 そんな先入観が一変したのが、あずまきよひこ原作のコミックあずまんが大王」の登場人物のひとり、「大阪」という少女を知ったとき。早口で喋らない。ギャグも罵詈雑言もとばさない。むしろのろま。おまけにドジ。吉本の女性漫才師くらいしか大阪弁の女性のイメージがなかった頭に、大阪にはこんな女性もいるのかという驚きを与えた。

 アニメーションにもなって、「大阪」が動き声を出すようになってなおいっそう、「あずまんが大王」で得た新しい大阪女性のイメージほ強くなった。今では大阪の女性といったら、老人から子供までがもう、のんびりやで話す言葉のすべてが的はずれで、あるいはぼんくらで、耳に優しくおかしく響くものだと思っている。なんでやねん。

 それはともかく、以前だったらそのしずしずとして淡々としたキャラクターと、きつい印象を持っていた大阪弁の話し言葉とのギャップに首を傾げていたかもしれない岩井恭平の「消閑の挑戦者」(角川スニーカー文庫、533円)。今では訥々とした口調で大阪弁を喋り、興奮もせず落ち込みもしないで物事に挑むヒロイン、鈴藤小槙のイメージが「大阪」と重なって浮かべやすく、読んでいて情景が浮かんで物語にすんなりと入り込めた。

 世界を驚かせる発明を幾つもして、若いながらも大金持ちとなった天才少年の果須田裕杜が、日本へと戻ってあるひとつの街を舞台に始めたゲーム。それは、自分に挑戦しようとする者を世界中から集め、ひとつの街をゲームのフィールドに見立てて、その中で競わせようとするものだった。「ルール・オブ・ザ・ルール」と名付けられたゲームで勝ち残るには、参加者たちは裕杜が差し向けてくる殺人すら厭わない屈強な面々を倒し、同じ参加者をも退けていく必要があった。

 何か意図があってのことなのか、それとも天才の心を知るのは天才だけだったからなのか、天才数学者の親子に天才ピアニスト、天才女性科学者とその助手といった類い希なる才能の持ち主が揃い踏みしたゲームに、ふとした弾みで混じってしまったのが鈴藤小槙。普段からボーッとして、何を考えているのか分からず、授業であてられてもろくに答えられない彼女は果たして、裕杜の集めだ屈強な「防御人(ディフェンダー)」と、飽くなき勝利への執念に燃える他の敵の参加者の攻撃をかいくぐり、幼なじみだった裕杜のもとへと果たしてたどり着けるのか?

 ここで肝心なのは、小槙が「大阪」とは違って単なるぼんくらではないという設定。殺人機械や武道の達人は、成り行きでゲームのパートナーになってしまった同級生の春野祥や、親切な他の参加者たちに任せはしたけれど、答えられなければ即失格の難問奇問にはノータイムで即答する冴えを見せ、強敵揃いのゲームを勝ち進んでいく。

 やがて浮かび上がるのは、人類の将来を左右する深刻なテーマ。そして人類に明日をもたらす存在の覚醒という物語の全体像だ。たかだか格闘とクイズで人間に眠る才能が目覚めるものなのかというと不明だけれど、半ば意識的にかけてきたたがなら外すことは出来ただろう。

 結果、世界がどうなったのかも不明だけれど、これについてはぼんくらではないにしてもシリアスさとは遠い「大阪」だけに、ちょっと不安が残っている。天才少女「ちよちゃん」が振り回されっ放しだった「大阪」に、天才少年・裕杜の想いも糠に釘、だったのかもしれない。

 MITの才媛にして名うての武器使い、天才数学者にして名うての拳法使い、天才作詞家にしてやっぱり名うての格闘美少女といった感じに、思いっきり突き抜けた個性の持ち主たちというキャラクター造形の妙に感心。そんなキャラクターたちが織りなす正確性にこだわったスピード感あふれる戦闘シーンには感動。入り組んでいくルールの上でゲームを成立させ物語を成り立たせようとする腕前に感銘。これがデビュー作というから空恐ろしい。次への期待も大きくふくらむ。


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