笑撃 これが小人プロレスだ

 全日本女子プロレスの会場でかつて、女子の試合の合間などに、身長が1メートル半もない男たちによるプロレスが行われていた。

 それが小人プロレスで、背こそ小さいけれどもムキムキに全身を鍛え上げた男たちが、ロープに囲まれたリングをスピーディーに動き回ってはぶつかり合い、投げを打ち合い蹴り合いながら繰り広げる戦いは、どこをどう見てもプロフェッショナルなレスリング。おまけに今の「ハッスル」のようなコメディタッチのやりとりもあって、迫力と楽しさを味わえるエンターテインメントに仕上がっていたという。

 そんな小人プロレスを25年も追いかけ続けているジャーナリストの高部雨市が書いた「笑撃! これが小人プロレスだ」(現代書館、2600円)によると、どうやら小人プロレスはもう日本ではどこに行っても見ることがかなわないらしい。

 主戦場だった全日本女子プロレスが経済的な理由で崩壊したことも要因だし、2002年に最後のレスラーだったリトル・フランキーが病死して、リングに立つ選手がいなくなってしまったのも消滅の大きな理由だ。

 もっとも、場所なら別に作ろうと思えば作れるし、リトル・フランキーたちがかつて憧れたように、小人プロレスの世界に入りたいという人がまったく途絶えてしまうってのもどこか不自然に写る。

 その不思議さは、高部雨市の疑問の叫びにも込められている。「誰が小人プロレスを葬ったのだ!」。そんな憤りと疑問から、高部がこれまでの小人レスラーたちへのインタビューや、関係者への新たな取材を通して理由を探っていった果て。見えて来たのはやはりというべきか、異質さを認めたがらない日本人に特有の感情というものだった。

 リングに立って小さな体をさらし、精一杯のレスリングを繰り広げてみせる。それが仕事だと誇りをもって戦っているレスラーたちは、是非に試合を見て欲しいと願っていたし、見られてこそのプロだと訴えた。テレビ中継だって希望していた。けれども、あれだけ女子プロレスが騒がれた時でも、テレビはどこも合間に繰り広げられる小人プロレスを映そうとはしなかった。

 視聴者から可愛そうだという同情のような抗議が入ったこともあった。テレビ局が視聴者からの声に配慮した。もっとも、高部はそうしたお節介よりもさらに深いところにある、「こんなもの見せられるか」と思いこんでいる、メディア側の侮蔑にも似た思いをえぐり出してみせる。

 抗議がある。鬱陶しい。だから流さない。視聴者の方だけを向き、レスラーたちへのリスペクトをまるで欠いたその心理の裏側には、どこか見せるにははばかられるという差別の意識があったという。それがテレビから小人プロレスを遠ざけて、日陰へと追いやってしまったという。

 見られる機会がなくなれば、見て選手になりたいと憧れる人たちも出てこなくなる。純粋にスポーツとして素晴らしいものだと感じ入り、見に行く人も出てこない。観客も選手も途絶えれば、あとは自然と消滅していくしか路はない。「そんなもの」とつぶやく声が「どんなもの」なのかすら、今では誰も伝えられなくなってしまった。

 だからこそ「笑撃! これが小人プロレスだ」が刊行されたことには意味がある。とても大きな意義がある。なにしろDVDがついていて、リトル・フランキーや隼大五郎やプリティ・アトムといった往年の選手達が、動いて戦っている姿を目の当たりにできるのだ。

 見ればその凄さが分かる。レフリーが普通に動いている周囲をレスラーたちがとてつもないスピードで動き回っては、技の応酬を繰り返す。実にハードでスピーディー。それをあの体躯でやってのけるのだから、ただただ凄いというより言葉が出ない。

 小さい体ゆえに受ける衝撃も大きかったに違いない。動けなくなってしまった選手もいれば、急に亡くなってしまった選手もいた。最後の一人が亡くなって、もはや現実の小人プロレスを見ることはかなわなくなってしまった。ひとつのスポーツカテゴリーが消滅してしまった。

 そのことも大きな問題だけれども、より大きな問題は、小人症の人たちに限らず、世の中には自分たちとは違った存在がいるのだと知って、どんな苦労を感じながら、どのように生きているのかを想像してみる機会が奪われてしまったことだ。

 格差社会と言われて、貧困にあえぐ人たちが増えているけれど、なかなか対策が打たれない状況が続いている。それははつまり、弱者が存在していて、どんな苦労にまみれているのかを想像する力が世間から失われているからに他ならない。

 いつか自分がそうなるとして、どんな境遇に陥るのかを思えば、そうでなくても誰かが苦しんでいることを、我が身に置き換えて感じられれば、何かしないではいられないものなのに……。

 知らないことが罪ではない。知ろうとしないことが罪であり、また知らせようとしないことがより大罪なのだ。そんな大罪を無自覚のままメディアが犯し続けていることに、大勢の人が気づき始めている。だからこその昨今のメディアに対して信頼感の低下が起こり、収益の減少が起こっている。それでもきっとメディアは気づかないまま、衰えていくのあろう。小人プロレスを追うように。

 だから、もはやメディアなど相手にしないで、本を読み、自分の目で見て想像力を養おう。小人プロレスの歴程が書かれた「笑撃! これが小人プロレス」は、そんな想像力への入り口に成り得る。読み終わってDVDを見終わったら、何がレスラーたちを動かしたのかを考えよう。彼らを追いつめていったものが何かを感じ取ろう。自分に何が足りなかったのかを考えよう。

 そして、世界に何が足りないのかを、口ごもらないで訴えよう。


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