食せよ我が心と異形は言う
Eat MY Heart, The Variant Say

 人はどうすれば、そしてどこまで悪魔になれるのか。

 最愛の人のために生きた心臓が必要となれば、誰かの心臓をえぐりとってくるかもしれない。心臓が3つと目玉が6つ、そして手足がセットで1ダース必要だったとしても、最愛の人のためならとやり遂げるかもしれない。

 虚栄のために異国の宝物を欲した女のために、軍隊を率いて隣国へと攻め入り、見方も敵も含めて大勢を死に追いやった王が、歴史の上にいたかもしれない。その死者が数万人に及んだとしても、王は気にせず軍隊を進めたかもしれない。

 それくらのことを人はやる。その程度の悪魔になら人はなれる。たぶん。いや確実に。

 ならば、一国の人の命すべてが必要だったら、それでも最愛の人のために奪いに向かうだろうか。全人類の命を求められても、最愛の人のためだからと奪い尽くすだろうか。もちろんだと答える者がいたとしたら、どうしてそれほどまでに人を憎む悪魔となったのかを尋ねてみたい。あるいは、そんな悪魔が登場する物語から想像してみたい。

 10代のうちに自殺してしまう遺伝子の病に罹った子供たちの苦悩を描いた「モーテ −水葬の少女−」でデビューした、縹けいかによる新シリーズ「食せよ我が心と異形は言う」(ノベルゼロ、800円)にはそんな、たった1人の少女のために全人類すら捧げても構わないと、悪魔になることを決意した少年が登場する。

 10年前、地上に<異形の天使(グリゴリ)>と名付けられるようになった怪物が出現した。日本の首都圏を襲い、大勢の人を恐怖に落としいれて東京23区内を廃墟にした<大災禍>に立ち向かったのは、それぞれに異なる異能を持った6人の少年少女たちだった。見事、異形の怪物を退け人類の英雄となった6人のうち、珊瑚アカネという少女はアイドルとなって、災禍から10周年を記念したライブのステージに立っていた。

 ステージでは、6人の英雄たちの中でただ1人、自分を犠牲にして異形の怪物を退け、世界を救って消えていった月白カノという少女を偲び、メシアと讃える歌が唄われていた。その最中、珊瑚アカネの身に異変が起き、かたわらに6人の英雄のひとり、黒羽園という少年とそして、10年前に失われたはずの月白カノが現れた。

 異形の怪物との最終決戦を生き残り、今は<大災禍>の余韻ともいえる、廃墟となった東京23区内に跋扈する<異形人>を狩り続けている黒羽園ら英雄の少年少女たち。世界からも尊敬されていたはずなのに、黒羽園はそうした仲間も、そして人類も裏切ることになった。なぜなのか? なによりどうして月白カノは生きていたのか?

 そこには過去、<大災禍>の戦いの中で、生存をめぐる英雄たちのエゴイスティックな密約があった。なおかつ異形の怪物たちの正体にも、人類が驚嘆する秘密ががあった。そこから浮かぶのは、多層的に重なって面々と続く宇宙。そのどこかで選択された生命の進化のその先に現れた存在。長大なスケールの中で繰り出されるSF的なビジョンが凄まじい。絶望しか浮かばない未来像を示して、人類の足下をぐらぐらと揺さぶる。

 人類を襲った<異形の天使(グレゴリ)>らがいったい、何を欲していたのかを知って、戦慄が全身をかけめぐる。そんな境遇にもし、自分が陥っても平然と最期を受け入れられるだろうか。ましてや月白カノが引きずり込まれたその境遇は、刹那に終わるはずの恐怖が永劫に続くもの。知って自身が耐えられずはずもないと思って当然だし、月白カノを愛しく思う黒羽園が憤るのも必然だ。

 だから裏切った。そして月白カノを本当に取りもどすために、黒羽園は悪魔になって人類のすべてに恐怖を味わわせ、その感情を搾り取って構うものかと考えた。これから先、続くだろう物語の中でそんな黒羽園の戦いに、世界は、人類は耐えられるのだろうか。戦慄とともに興味が浮かぶ。

 障壁を張ったり武器を自在に取り出したり、状況をゆがめたりといった個々に異なる英雄たちの異能の力が、個人に内在する精神の過剰な横溢によって発動したもので、それをかろうじて抑え、特定の力に収めていくプロセスの残酷さにも目を奪われる。そうやって生み出された英雄たちが、ほんとうに人類の見方としていつまでも戦い続けてくれる英雄でいてくれるのか。もしかしたら本当の英雄は、他にいるのではないか。悪魔と呼ばれ虐げられながら。そんな思いも浮かぶ。

 帰ってきた月白カノ。そこより出でた謎めく存在。対立する英雄たちの戦いに巻き込まれていく人類。退いたように見えてあるいは虎視眈々と再来を狙っている<異形の天使(グレゴリ)>。さまざまな謎を引きずって進む物語の先で、繰り出される展開に恐怖を感じる可能性を想像しつつ、それでも得られる興奮に期待しよう。


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