涼宮ハルヒの憂鬱
すずみやはるひのゆううつ

 目新しい訳ではない。むしろありがちな部類に入るかもしれない。谷川流の「第8回スニーカー大賞」で大賞を受賞した「涼宮ハルヒの憂鬱」(角川書店、514円)は、どこにでもいるごくごく普通の少年と、どこかイってしまっている美少女とが出会い、巻き起こすドタバタを描いたボーイ・ミーツ・ガールの物語。ヤングアダルトの文庫を読めば10冊に7冊くらいは入っていそうな設定だ。

 絡むキャラクターたちもそれぞれが実に類型的。眼鏡をかけた文学好きの寡黙な少女がいて、小さいけれどグラマラスな気の弱い少女がいて、二枚目だけれど妙に人のよい美少年がいて、といった具合に並べればゲップが出そうな面々がズラリ。読む前から役割分担すら想像できてしまうし事実、見かけの役割もそのままズバリだったりする。

 けれどもどこかズレている。というよりズラされている。ありがちな世界観の上でありがちなキャラがありがちなドラマを演じていく、そんな物語の中でありがちな安心感に浸ろうと思ってページを繰っているうちに、気が付くととんでもなくねじくれた世界へと身を導かれ、どうしようもなくひねくれたキャラたちによる、とてつもなく壮大にして深淵なドラマを読まされている。

 進学した高校で、初めてみんなが顔を合わせた入学式後の自己紹介。出身中学とか好きなものとか趣味とかを、ひとりひとり話していく毎度おなじみの温さにあふれた空間を、切り裂くようにしてその少女、涼宮ハルヒは得体のしれないコメントを発してクラスを凍り付かせる。

 「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたらあたしのところに来なさい。以上」(11ページ)。とてつもない美少女。なのにどこかズレていて、他人にいっさい興味を抱かず半ば孤立しかかっていた涼宮ハルヒに興味を抱いた同級生の少年・キョンは、彼女をしばらく観察し、曜日によって髪型が変わっていることに気づきそのことを告げる。

 以来、ハルヒのキョンに対する意識が芽生えたのか、キョンとハルヒの間に会話らしきものが成立するようになる。恋とか愛といった甘い言葉はいっさいなし。宇宙人や異次元人を真剣に信じるハルヒの他人をいっさい構うことない独白に、相づちを打っていた程度の関係だったけれど、ある日突然ハルヒが自分で新しいクラブを創設し、宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶんだと言い出したことからキョンの運命は一転する。いや二転かも。七転八倒が正しいかもしれない。

 「SOS団」と名前もどこかズレているクラブを、すでにあった文芸部の部室に寄生する形で創設し、文芸部のたったひとりの部員だった寡黙で読書好きの少女・長門有希を半ば強引に入部させ、不思議なことが起こる物語には”萌え”が必要だと、2年生で美少女でロリ顔でおまけに巨乳の朝比奈みくるを拉致して監禁して入部させ、最後に転校生はなぞめいていると転校してきたばかりの古泉一樹も入部させる。

 そして起こる惨劇。挑む「SOS団」。迫るハルヒの危機にキョンは勇気を振り絞って彼女を助け、高飛車に見えてその実ナイーヴだったハルヒの心を溶かして晴れて迎える大団円、とはいかないところが「涼宮ハルヒの憂鬱」の普通とは違ったズレている部分。そして面白い部分。全体それが何なかを明かすことは出来ないけれど、次、次、次と現れては畳みかけてくる驚きのシチュエーションの連続に、しばし呆気にとられ続いて画期的かもと驚き、だったらいったいどんなエンディングを迎えるのかと興味を引かれて一気に最後まで連れていかれる。

 キャラクターの類型化を類型的だと意識させて笑わせつつ、ハマらせるだけだったら最近のアニメーションなりキャラクター小説の大半がやっている。「涼宮ハルヒの憂鬱」でも、次々に繰り出されるいかにもなキャラクターたちが演じる、いかにもな振る舞いにいかにもだなあと大笑いできる。けれどもそれ以上に興味深いのは、どうしてキャラクターが類型的でなければいけないのかを、ハルヒの側に強い理由を持たせて説明している部分だったりする。それは物語世界の成り立ちとも関わって、いかにもさへの安心感を越えた深さを感じさせる。

 傍若無人で思い込んだら一直線な涼宮ハルヒというキャラクターの性格設定に、動物的な関心をかき立てられる人も多いだろう。けれどもそれ以上に、物語の進行に主体的、能動的には決して絡まず、けれども大きな役割を果たすことになる、涼宮ハルヒのおよそヒロインらしからぬキャラクターの立て方、動かし方に興味を抱かされる。後半に巻き起こる不思議な出来事の、そのすべての中心にいながら涼宮ハルヒは、すべての出来事に気づかずらち外に身を置いて物語の中をさまよう。ひとりキョンだけが不思議な出来事のすべてを受け止め、世界を脅かす存在へと立ち向かう。

   もちろん傍若無人な涼宮ハルヒのキャラクターは秀逸だし、メイドだ、バニーだ、眼鏡っ娘だといったキャラクターの繰り出し方が人気となるだろう可能性は否定しない。ただ願わくば、そうしたキャラクター・オリエンテッドな物語としではなく、アクロバティックに描いて見せた構造的な部分でも、なおいっそうの冒険をしていってもらえれば、未来に大成が期待できて嬉しい。

 どこかイってしまっている美少女の妄想妄言の類が結果として引き起こした奇々怪々な出来事に、ごくごく普通の少年が巻き込まれてはのっぴきならない状況に陥る、といったシチュエーションは、どことなく滝本竜彦の「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」(角川書店、1500円)と重なって見える。もっとも結末はボーイ・ミーツ・ガールのラブストーリーとして集束した「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」とは大違い。滝本に感動は出来ても驚けなかった人は手に取って比べてみると、いろいろ見えて面白いかもしれない。


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