実は「槍道」というものはスポーツとしては存在していないのだと、そんな槍道に勤しむ少年少女を主人公にした天沢夏月「サマー・ランサー」(メディアワークス文庫、550円)のあとがきを読んで知って、意外に思った人も少なくないもしれない。

 正月明けなどに日本武道館で開かれたりする古武道の演武会をのぞいてみると、そこには槍を持って振り合い、付き合う人たちがいたりして、武道として存在しているような印象を受ける。同じ武道の剣道や薙刀が学校でスポーツとして取り組まれているからには、槍道も同じスポーツとして存在していて不思議はないと思わせる。

 実際には、そうした槍の術を教える道場はあるし、宝蔵院流のように宮本武蔵の時代から脈々と伝えられている流派もある。ただ、それらが競技化されて柔道なり、剣道のような全国規模の大会が行われている訳ではない。そのチャンピオンが非公式ながら「グングニル」という北欧神話に由来の称号で讃えられることもない。

 架空の存在。その槍道をテーマにしたという意味で、「サマー・ランサー」は一種のSFなのかもしれない。いや、それは流石に言い過ぎか。ともあれ、この物語がきっかけになって竹刀でもなく薙刀でもない、槍を手にして戦う武道を競技化して、学校の部活動でも取り組まれるようになれば面白い。

 そんな「サマー・ランサー」という物語でまず興味深いのは、祖父が剣道の範士八段でとてつもなく強いと評判を取っていた、その孫の大野天智という少年が幼い頃から教わって身に染みていた剣道を捨てて、槍道へと興味を向けていくという展開だ。

 小学校の頃は天才的な剣士として大活躍していた天智だったけれど、年齢が上がるに連れてだんだんと勝てなくなっていく。それでも全体の中では依然としてそれなりに強い部類に入っていて、剣道には進まず商社マンになった父親の転勤について回って転校した先々では、その知名度から剣道部に引っ張られ、先輩たちや在校生たちをおしのけレギュラーに抜擢されることもよくあった。

 そこで圧倒的ではない姿を見せ、そんな奴がレギュラーをと反感をくらい、それが原因で内向きになっていった挙げ句に、天智は祖父の死という“事件”に直面して竹刀が振るえなくなってしまう。

 神童が成長するにつてれ弱くなることは割と普通にあるけれど、祖父に叩き込まれた剣の技がそう簡単に錆びるものではない。準優勝とかベスト4とかの位置にはいけるなら、あとはやる気の問題でしかない。そこで天智が自分を奮い立たせられないのはなぜなのか。現実に神童と呼ばれ、血筋を讃えられながら、長じるに連れてだんだん落ちていった人たちに、天智に起こったことを神童に共通の心理なのか、それとも人それぞれなのかと聞いてみたくなる。

 期待されるからには、それに答えたいと思うのは人の心理として普通の流れ。けれども、1度つまづくと期待が逆に重荷になって、また失敗するんじゃないかと自分を縛り、手が出なくなってしまうものなのかもしれない。祖父が死んでそのプレッシャーから開放された天智は、今度は原動力が失われてさらに動けなくなってしまったのかもしれない。

 だから、新しく進んだ高校では剣道部に入ることもできなかった天智は、それでも未練があったのか近寄って行った剣道場から響いてきた来た、竹刀ではなく木刀のようなものがぶつかり合う音に、つい中をのぞいてしまう。そこでは防具をつけて竹刀ではなく長い棒を持った人たちが戦っていた。

 剣道部ならぬ槍道部。そこで戦っていた羽山里圭という同じ学年の少女に引っ張り込まれて、天智は槍を始めることになる。剣道とは違う技に戸惑ってはいたものの、剣道では見えなかった“キセキ”が見えたことで、天智は槍への興味を深めていく。

 ところが、練習のために祖父の剣道場を借りた時、そこで祖父の声が聞こえてくるようで、体が縮み心が迷ってしまう。祖父が親身になって教えてくれた、鍛えてくれた剣道に背を向ける申し訳ないという気持ちがそこに浮かんで、心身を縛ってしまったからなのか。あるいは何かから逃げている自分ってものが見えてしまって、槍道もそんな逃げ道に過ぎないと分かって、情けなくなって体が動かなくなってしまったのか。

 考えすぎだと言えば言えるけれど、何も考えずにやりたいことに邁進できる人間なら分からない複雑な心理であり、そして体面を気にする虚栄を持った人間になら誰にでも起こる出来事。脚が止まってしまった天智が、迷い悩んだはでにどうにか1歩、再び足を踏み出していく様から、自分だったらどうしたら立ち直れるのか、あるいはどういう生き方が出来るのかを考えてみたくなる。

 純粋に前向きに槍道に挑む同級生の羽山がいて、家が槍の道場だったものの生徒がおらず潰れてしまった過去を抱える先輩がいて、背丈は小さいもののいつも熱気にあふれた女性の先輩がいて、巨体をふるって槍道に挑む部長の先輩もいたりする槍道部の中で、ようやく手に槍がつき始めた天智が、これからどういう関係を仲間と育み、そしてどういう選手になっていくのか。是非に知りたい。書かれるだろう続きの物語の中で。


積ん読パラダイスへ戻る