Final Dragan Stojkovic
ドラガン・ストイコビッチ完全読本

 ありがとう。

 と御礼を言おう。まずは出版社。400ページを超える特大ボリュームながら、1900円とリーズナブルな値段のなかに、たっぷりのコラムとふんだんな写真と、今までにないシビアな質問もいっぱい入った本人とそして妻のスネジャナへの貴重なインタビューも収録して、隅から隅まで我らがピクシーことドラガン・ストイコビッチを取りあげた本「Final Dragan Stojkovic ドラガン・ストイコビッチ完全読本」(集英社、1900円)を出してくれたことに。

 おまけも全6種類というトレーディングカード。出したら価値が下がりそうで触れられないのが辛いけど、袋からうっすらと透けて見えるデザインにこれは恐らく「ユーロ2000」で最後の試合になったオランダ戦でのダービッツ相手にフェイントを仕掛けるピクシーと、「名古屋グランパスエイト」で練習している時の笑顔を、表と裏にプリントしたものだと想像して楽しめる。どうせだったら残りの5種類もやっぱり集めておきたいところ。きつくてもそれがファンとしての義務だ。

 人によっては200ページ近い分量で、3本に別れた宮城シンジの漫画「背番号10 ドラガン・ストイコビッチ物語」がくどいと思うかもしれないが、原作を書いているのが「誇り」と「悪者見参」でストイコビッチのすべて、ユーゴスラビアの今を描き出した木村元彦。それぞれの本で活字として読んだピクシーの苦悩とユーゴスラヴィアが直面した悲惨な様が、絵でもって描かれるとやっぱりジンワリ来てしまう。

 コソボ紛争への制裁でユーゴ全域に空爆を仕掛けるNATOに抗議して、ユーゴスラビアから帰国したばかりのピクシーが、福田へのアシストが決まった直後に「NATO STOP STRIKES」と書かれたアンダーシャツをバッと見せる見開きのシーンの静かな凄み。テレビのニュースで見た時も、文字で読んだ時もこれほどまでに苦悩し憤るるストイコビッチの燃える感情は伝わって来なかった。漫画が持つ他では表現できないパワーが、漫画を読む人にユーゴで起こったこと、今も起こっていることの深刻さを分からせる。

 同じ漫画の後半、「ユーロ2000」の予選でアウェー中のアウェー、クロアチアで戦うプラーヴィ(ユーゴスラビア代表)たちが罵声で浮き足立ち怯え震えるなかで、1人冷静にチームメイトたちを落ちつかせていく描写の格好良さも素晴らしい。けれども、そんな落ち着き払って大人の風貌を見せているピクシーが、残り5分、同じグループのアイルランドがマケドニアに引き分けているとの電光掲示板の表示を「嘘だ 僕らを油断させるためにクロアチアがだまして表示しているだけだ」と思ってしまう描写が醸し出す、セルビアとクロアチア双方に未だ残ってなかなか抜けない不信感の根深さに身が締まる。

 92年、「ユーロ92」の会場だったスウェーデンからプラーヴィたちが強制帰国させられた時、ベオグラードから飛行機を飛ばしたパイロットのポポフに取材したルポが秀逸の極み。「名古屋グランパスエイト」のファン雑誌「グラン」に掲載された記事を加筆修正した作品で、出て行けといいながらも燃料を与えようとしない空港の人たちに対して、ポポフがそれこそユーゴ代表という世界の至宝の命を楯ににして交渉する場面の緊迫感は、国際謀略小説もサスペンス映画も超えるスリルを感じさせてくれる。

 それにしても紆余曲折あった7年間を、故郷から遠く離れサッカーの主流からもはずれた日本のJリーグの「名古屋グランパスエイト」でプレイしつづけたストイコビッチの偉大さには、ただひたすらに頭が下がる。低レベルのプレイに耐え、両親が住む故郷への爆撃に耐え、妻の母親の突然の死に耐えあらゆることに耐え抜きながらも最高のプレイを披露し続けたピクシーの凄さには、ただひたすらに身が締まる。数々の苦難を乗り越えそれこそ命すら危険にさらして復活し、98年の「フランスワールドカップ」でも2000年の「ユーロ2000」でも決勝トーナメントへと進んだプラーヴィたちにも等しい尊敬の念が巻き起こる。

 ピクシーがいたからJリーグは面白かった。ピクシーがいたからユーゴスラビアでの出来事により身に近い部分で関心が持てた。欧州が持つ長いサッカー文化への窓をひらき、ユーゴスラビアが持つ複雑な政治情勢への窓を開いたピクシーがいたからこの本は生まれた。だから御礼はこちらにより強く。

 ありがとう。ドラガン・ストイコビッチ。


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