スパイスビーム

 やっぱり格好良い。やっぱり面白い。そしてやっぱり美味しそう。

 「週刊コミックバンチ」でずいぶんと昔に、何話か連載された漫画に、描き降ろしも加わり刊行された深谷陽の「スパイシー・カフェガール」(宙出版、1100円)。強面で、筋肉ムキムキのボスが店長で料理人も務める1軒のエスニック料理屋を舞台に、韓国人ウェートレスに持ち上がった事件や、アフガニスタンが絡んだ事件が起こっては、店長がその強さと謎めいた人脈を活かして解決してしまうエピソードの痛快さと、そして店長によって作られる料理から漂う美味そうな雰囲気が、淀みがちな気持ちを、びっしりとスパイスが入った料理を食べた時のように、晴らしてくれた。

 その続編、というよりは世界を同じく新たに描き始められた「スパイスビーム」(日本文芸社、905円)は、「スパイシー・カフェガール」と同様に仕事にあぶれ、恋人にも去られたコージという名の青年が、道ばたで不良に絡まれている少女を助けようとして、逆に不良に絡まれ逃げ込んだエスニック料理屋で食べた料理に文字通りに感涙し、張り出してあった調理助手募集の紙に応じたところ、出てきたのが強面で筋肉ムキムキの男。とても料理人には見えないその男が、感涙させる料理を作っていたと知って青年は、恐がりながらも今更引っ込む訳にはいかず、その店で働き始めた。

 店を出たところで待ち受けていた不良たちですら、ひとにらみで撃退してしまうくらい強面のオーナーシェフことボス。街ですでに広く知られているのか、それとも単に顔と体格だけ見て不良たちが怯えたのかは分からなかったものの、とにかく得体の知れない存在で、終わりの方のエピソードではボクサーくずれとも、軍隊あがりとも武闘派ヤクザともいった過去が取りざたされては、それのどれもが本当だと思わせる事件が起こる。もっともそのどれに答えることなく、ボスは寡黙に相手をしてはそのどれをも退ける。

 そんなボスでも料理の腕前は超一流で、臆病になっている中国人の少女を励まし、ハンガリーから来た女性を支え、コージから去った元彼女の仕事で疲れた心を癒し、かつて出入りしていながら女性を捨てて逃げ、今また戻ってきたものの女性はすでに良人を得て言葉をかけられずにいた男に、諦めの覚悟を付けさせる。食べれば思い出す過去の楽しさや苦さ。食べれば浮かぶ今という時間の楽しさや辛さ。様々な感情がボスの料理を鍵にして浮かび漂っては、未来への希望となって舌から喉へ、そして全身へと広がり包み込む。

 そんなボスの姿に感化されたのか、ひ弱に見えたコージも食の力を信じるようになっていく。母親が逃げてしまってアパートにひとり引きこもって嘆いていた幼い少女に、自分で作った料理を運んでは食べさせ、少女に力を付けさせる。ボスをねらって店に侵入してきた殺し屋風の男に自分の料理を食べさせて、何もさせないまま店を退散させる。腕前も上がっていたんだろうけど、それ以上に味わって欲しい、楽しんで欲しいという料理にとしての魂が、そこにこもっていたらしい。まるで調理の経験のなかった人間を、わずかな時間でそこまでに仕立て上げたボスの料理の凄さに是非に、触れられるものなら触れてみたいし、食べられるものなら食べてみたい。

 残念ながらそれは永遠にかなわぬ夢。漫画の絵は誰も食べられない。けれども漫画から得られた感動は誰でも味わうことができる。心に悲しみを負った女性も怒りを抱いた男性も、誰も彼も喜ばせては心を洗わせる「物語=料理」を作者の深谷陽には、これからも紡いでいって欲しいもの。描かれた料理とドラマを見て、心の空腹を満たして感涙し、そして街へと出て本物の料理を食べては、本当の空腹を満たして明日を生きる力を得るのだ。

 相変わらず特徴的な絵柄で、男たちは強そうなマッチョに狡猾そうな痩躯の野郎に卑小な青年と種々雑多。一方で女性は誰もが可愛らしげでグラマラスで儚げで優しげといった具合に、肉体の美や容貌の美が前面へと出て目を楽しませてくれる。加えて描かれる料理のどれもが美味そうなこと。リアルではないのにエスニックなスパイスの香りが、作りたての熱さとともに漂って来るのはそれだけ料理の美味さが物語の中で、重要なピースになっているからだろう。食べさせてくれる店があれば行って食べるのも良し。充実しているレシピを見ながら家で作って味わうのも良さそうだ。


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