SOY! 大いなる豆の物語

 大豆といったら日本人にはなじみの深い穀物で、それから味噌が造られ、醤油が造られ、豆腐が造られおからも造られ納豆なんかも造られては、そのまま食べたり何かに着けて食べたりといった形でほぼ毎日、何らかの大豆が原料になった食品を口にしている。これほどまでに日本人に親しまれているなら、大豆は米と同様に日本でほとんどが作られている。そう思っていたらどうやら違うらしい。というよりまるで違っているらしい。

 農林水産省によれば6%。食品用だけでも約2割。それくらいしか国産の大豆はないという。あれほどまでに日本人にとってなじみのある穀物が、どうして日本で保護され作られていないのはどうしてか。考えるにそこにはきっと、米という優れた穀物に誰もが走った歴史があって、米を中心にした農業が営まれていった過程で大豆の栽培は脇に追いやられ、国内から海外へと移っていったのだろうといった想像が浮かぶ。

 その変遷も、歴史をひも解けば中国大陸の満州という、日本の歴史に残ったひとつの点を経て、世界各地に広がっているといった感じ。そんな大豆の流れを追いつつ、日本人にとって大切なことを語っているという評判を知りつつ、読み始めた瀬川深の新刊「SOY! 大いなる豆の物語」(筑摩書房、2100円)が、1ページからグイグイと内容に引きつけられて、終わりまで一気呵成に読んでしまうほどの面白さだった。

 それは、とてつもなしに圧倒的な“僕”と”大豆”の物語。筑波の国立大学に進学したけれど、特に何かに打ち込むこともなしに、アニメや漫画を嗜む活動をした程度で卒業し、どうにかこうにか就職できたコンピュータ会社でパワハラに合い、ブラックな状況に心を傷めて2年で辞めた原陽一郎、27歳、現在無職。

 父親が昔建てた1戸建てに住んでいるけれど、早くに死んだ父親はおらず、母親はアパレル会社で出世して恋人を作って海外に暮らし、弟は仙台の大学に通っているため、たったひとりで暮らしていた陽一郎に、どうやら世界的らしい食料品会社から配達証明郵便が届く。

 そこに書かれてあった内容と、詳しい事情を聞くために日本支社を尋ねていって聞かされた話が、27歳の無職で日雇いのアルバイト暮らしをしていて、時々友人が作っている同人ソフトのプログラムを手伝っていただけのやる気ゼロに近い陽一郎を、おどおどと立ち上がらせては父親が生まれ育った岩手の山奥にある実家や、弁護士をしている大叔父が暮らしている仙台へ赴かせる。

 そこまでの段階で、日本からの移民受け入れで有名なブラジルではなく、同じ南米のパラグアイに移民した日本人たちの物語があり、長く虐げられてきた東北、というよりこの言葉自体に東夷北狄という差別的なニュアンスが滲んでいるという事情を含んで、独立を目指す東北人の気概といった話がありといった具合に、次から次へと繰り出される知識のシャワーに溺れそうになる。

 そんなワールドワイドな状況下で綴られるのは、原陽一郎の3代前のご先祖様が、東北を振り出しにして日本から世界を巡って行った旅路の中で、感じて動き挫折もしたけれど最後に成功した大豆を取り扱って世界に広めるという仕事の持つ意味。それがどうして大豆だったのか、それをどうしてパラグアイにまで広げていったのか、といった問いに対する答えからは、大豆という食品が持つ底知れない素晴らしさが浮かんでくる。

 そして、それほどまでに重要な穀物が米とか麦とかに押されてしまいがちな状況への懐疑が浮かび、食品流通を一手に握って世界を相手にする仕事の凄みが見えて今、こうして漫然と輸入食品を食べている状況への不安めいたものが浮かんでくる。自分たちが食べているものは安全か。安心か。安楽か。そんな懐疑に取り憑かれてしまうともういけない。何を食べるにも不穏な気分に襲われてしまう。物語の後半の原陽一郎のように。

 そんな大きな展開の合間では、会社勤めの世知辛さとか、粟8あわ)や稗(ひえ)や黍(きび)といった雑穀の有用性と、それをどうやって売れば売れるのかといった、当事者には身に降りかかるような厳しい話、学べばいろいろと学べる話が連なって、思わずフンフンと頷いてしまう。陽一郎の日常では、ひとりの格闘ゲーム開発者のもとに集った有志がキャラクターを盛り上げて、商業に頼らずコンテンツを広めていった事例が語られる。

 そして、それが商業に転んだ場合に起こる喧騒めいたものも示されて、陽一郎の日常という枠組みを超えて、いずれ来るだろう囲い込みと収奪のビジョンを感じさせる。とにかく凄まじい情報量。そして、それらがちゃんと人々のドラマの上に乗っているから、読んで情報を浴びせられても辟易といった感じにはならない。そこが凄い。

 一気呵成に読み終えてしまって浮かぶのは、簒奪され収奪され束ねられ浴びせられる資本の力の猛々しさであり、そんな状況に個としてなし得ること、成すべきことは何なのかって自問みたいもの。そこで絶望を復讐に変えるも良し、茫然の中に自分を見つけるも良し。そんな読後感を味わえる。

 500ページを超える大著でありながらも、未だ世界を又にかけた大冒険への序章のような感じがあって、この先、どんな波瀾万丈の未来が待っているかもと思わせられる。各地を歩いて過去を知り、失恋めいたものも経験してシャキッとした27歳無職はこの後世界へと出て、混迷の中で何を見て、何をつかみ、未来に何を成していくのか。そんな物語があったら読んでみたいと思う。心から。


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