双星の捜査線 −さよならはバーボンで−

 第19回電撃小説大賞で最終選考まで残りながら受賞を逸した作品を改稿して出した亜空雉虎の「双星の捜査線 −さよならはバーボンで−」(電撃文庫、630円)は、刑事物でバディ物で幼女物でSF物で巨悪vs個人物。そして何より傑作という、ありとあらゆる小説読みの関心を引きつけ、そして満足させるだけの要素を持っている。

 優秀だけれどトラウマがあるのか、死体を想像すると気分を悪くする関係で、警察組織にあって凶悪犯罪を専門に担当するC.S.Cという特殊部隊を希望しながら入れないでいた新米刑事のシンゴに、C.S.C創設の立て役者で、かつて自分を救ってくれたこともあって心から敬愛しているバークマン署長から仕事が入る。それは、女性3人を殺害し、追うC.S.Cの凄腕3人を殺したハリーロイドという名の犯人の行方を追え、というものだった。

 とはいえ、新米の刑事がたったひとりで立ち向かうのには荷が重過ぎる相手。そこでシンゴには、脳内にニューロンネットワークを人工的に生成し、感覚や知識を増加し強化する<ユニット>を多数埋め込まれた「検体」と呼ばれる人間が、パートナーとしてあてがわれることになる。それがマリィ。名前のとおりに女性で、そして麗しき美女、という訳ではなく、むしろまったく逆の風貌だったからシンゴも驚いた。

 マリィの見かけは12歳くらいで、小さい体に大人向けのトレンチコートを羽織っているというからどこかコメディ。おまけに喋る言葉は幼児のように舌足らず。一仕事片づけばバーに案内しろとシンゴに求め、そして連れて行かれたバーでバーボンを注文しては出てきたミルクに文句も言わずに口をつけ、ぐぐっと飲み干すというから傍目には滑稽極まりない。

 それでいて中身は極めて優秀で、シンゴなど遠く及ばない明晰な頭脳を駆使して事件の真相へと近づき、ちょっとの手がかりから犯人へと迫ろうとする。そんな、どこかいびつな少女がどうして生まれたのか? それは、ユニット増設の影響で人格変容を起こしていたからだった。自分の本当の意識すら塗り替えられてしまうこともあって、マリィの場合も過去に自分がどういう人格だったかを覚えていない。

 もっとも、マリィは自分のそんな境遇への同情など寄せ付けない達観ぶりと有能ぶりで、どこか弱気なシンゴを引っ張り捜査へと向かう。シンゴもマリィを下に見ず、かといって上に仰ぐこともしないで相棒として、共に行動していこうと誘いかける。ずっと恐れられていたマリィにはそれが嬉しかったのかもしれない。口調こそ相変わらず厳しかったものの、マリィはシンゴを認めて危険な捜査へと突き進む。バディ物の醍醐味。味わいたい。

 もっとも、事件はそうすんなりとは解決しない。ハリーロイドという凄腕の殺戮者を追う中で、事件に限らずその背景にあるとてつもなく巨大な事態が見え来てシンゴを悩ませ、マリィを苦しめる。自分の寄って立つ場所、そして組織への敬愛と忠誠をも揺るがしかねない事実を突きつけられてシンゴは迷う。そして苦しむ。

 ただの青年と少女によるバディ物のサスペンスに見えた物語が、世界観を一気に広げて読者をシンゴやマリィたちと同じような葛藤の中におく。その一方で、脳に<ユニット>を幾つも埋め込む手術の非合法で非人道的な様、けれどもそうやって生まれてしまったマリィに落ち度はなく、労りすらも必要なしに対等に向き合ってあげることの必要性も浮かんでくる。

 追っていたハリーロイドを見つけ、そして起こった事態から急展開してその身に迫る危機を、シンゴとマリィはどうしのぐのか? それが都市を脅かしかねない事態を招いたとして、2人はどう取り組むのか? 迫られる決断。その答の正否を読者として考えてみたくなる。

 能力を拡張できる<ユニット>というSF的ガジェット、それがもたらす無敵の超人ぶり、けれども道理があるなら隙間もあるという中での戦闘描写もあってなかなかにスリリング。人間に眠る可能性めいたものも指摘され、この先の展開に余韻を残す。国ではなく都市といった単位で独立した経済圏を持ち、それを地球政府が統合しているような世界観もユニーク。学園やご町内に留まらない、社会を描き世界を描こうとする意識にあふれているところも評価できる。

 凶悪にして強敵のライバルも残し、最低の所から再起へと向かわなくては行けないシンゴたちに新たに迫る危機も想定しつつ、今度は世界レベルで何かが起こり、それに立ち向かうような話になるのか、もっと身近な話になるのかが気に掛かる。続きがあるなら楽しみだし、そうでなくても奥深い物語を軽快に描ける作家の登場を喜び、次に紡ぐ物語に期待したい。


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