シックス・ボルト

 今さら偉い人の隠密懲悪道中記を「水戸黄門」のパクリと言って非難する人はいない。むしろ一種の伝統芸的な形と認識して、そこにどんなキャラクターと、物語を当てはめられるかを競って作者の腕前の冴えを楽しむことの方が多い。宇宙からやって来たヘンな生き物が同居して、てんやわんやの大騒動を繰り広げる話だって、これまた王道パターンとして認知されてる観がある。それを「うる星やつら」のパクリだとか、「天地無用!」のマネと怒る人もほとんどいない。

 もちろん常に新しいパターンを作り出そうと頑張っている人から見れば、安心が約束されているパターンに乗っかる人は安易に映るかもしれない。けれども読む人の側に形式を楽しみつつ違いを味わうゆとりが、重ねられた長い歴史のなかで出来上がっているのだろう。とりたてて騒ぐこともなく、いささかの苦笑を交えながらも面白がって読んでしまうことの方が多い。

 難しいのは、比較的新しく出て来て、それが大流行してしまった時に、一種”リスペクト”として登場して来る類似パターンの作品に対する判断だ。同じクリエーターとして、得た感動を似たパターンの中に込めたいと想う気持ちは分からないでもないけれど、大流行してしまったが故に思い入れを持ってそれらを受け止めている人の多い状況に向けて、パターンが似ていると判断される可能性の高い作品を送り出してしまった場合、たとえそこに”リスペクト”という気持ちが込められていたとしても、受け取る側にはまだ違いを味わう余裕は生まれていない。

 詰まるところリスペクトであろうと正真正銘のパクリであろうと、似たパターンを持ってしまっている以上、その作品はマイナス地点からのスタートを余儀なくされてしまう訳で、そこからゼロへと読み手の気持ちをまず引き上げ、さらに100点満点へと近づけていくには並々ならぬ技量と、そして熱意が必要になって来る。

 危機的状況の中、高校生なり中学生なりが集められ、軍事的な訓練を受けて未知なる敵と戦う、という設定を聞いてたぶん、若い人を中心にトレンドに賢い人が思い浮かべるのは、「高機動幻想ガンパレード・マーチ」というゲームのことだろう。かつてないシビアなゲーム内容と、奥深い世界観でクリエーターの間にも数多くのファンを生みだしたらしい作品で、この本、「シックス・ボルト」(メディアワークス、610円)の著者の神野オキナもそんなファンのひとりだと、自身さまざまなメディアで表明している。

 そんな神野だけに、「人類の存亡を賭け、選ばれし高校生556名の凄惨な闘いが始まる……」と帯にある「シックス・ボルト」において、「ガンパレード・マーチ」の影響が皆無だと思う方が無理な話で、さらに言うなら巻末のあとがき自体に、映画「スターシップ・トゥルーパーズ」と並んで「ガンパレ」の名前が挙げられてしまっている以上、影響はあったと考えるほうが自然だ。

 ただ、似ている可能性を否定せず、むうしろ積極的に名前を出したことを、マイナス地点からの出発を覚悟の上で勝負しようとしたクリエーターとしての意志の現れと、取ってとれないこともない。似た設定の上でより強いメッセージと、奥深い世界観を見せようとするクリエーター魂の産物という見方も出来ない訳ではない。形式と許される「水戸黄門」パターンより、さらに荊の道を選んだのだと言って言えないこともない。

 結果はどうか。「ガンパレ」で言うところの「幻獣」に当たる人類の敵は、「シックス・ボルト」では宇宙から襲来した生命体ということになっている。それもただ単純に円盤に乗って攻めてきたという訳ではなく、実に奇妙な条件をつけて真正面から堂々と宣戦布告を行って来た。彼ら宇宙人は異星を侵略する時に一定のルールの下で行うのを旨としているらしく、地球の場合は2016年の1月1日から2018年の12月1日まで、世界中の様々な地域で予備戦を行った後、翌日から2020年1月1日になる瞬間までを本戦として最終決戦を行って、地球とその生命体とのどちらが勝者になるかを競う、どこかゲームめいた設定になっている。

 ただ人類にとっては負ければ「土地、文明、文化の所有権を奪われる」、すなわち絶滅への危機に直面する戦いであることには変わりなく、宇宙人=「権利者」が闘う相手に指定した子供たちを鍛えるべく、世界の国々のあちらこちらに養成所が出来て子供たちが集められ、日々訓練を受けている。

 日本の場合は北の山岳地帯が戦争を行う地区に指定され、楯岡学園という学校に集められた少年少女556人が、日本では初めての「権利者」との戦いにのぞむことになり、どこか憂いのある銀色の髪をした美少女の久遠院氷香、彼女の親友で女子空手部主将の間月螢、子犬のような雰囲気があり友人からは「小動物」とあだ名されている少年の真永見由宇らもひとつのチームになって、激烈な戦闘へと身を投じていった。

 地球人の弱さを見越して、あらかじめ強化服といったものを地球の戦場となる地域の地下に秘密裏に送り込んで、戦力を均等にしようとする発想をどうして敵が持っているのか、そこまでするからには地球人をただ侵略するのではなく、追いつめることによって何か引き出したいのでは、といったあたりに想像の余地がありそうで、興味を引かれる。

 地球人が、禁じ手の熱核兵器を使ったりするようなルール破りをした場合はもちろんのこと、敵となる「権利者」が、ルールを「応用」ではなく「曲解」するような行動を取った場合でも、ペナルティを与えて戦いを公正な方向へと修正するよう、宇宙と次元の狭間に待機して戦況を見守っている「監視者」という存在の正体も含めて、語り切られていない世界観がまだまだ相当にある。

 マイナス地点からのスタートを余儀なくされた「シックス・ボルト」が、そのハンディをカバーしどこまでプラス地点の満点へと迫れているか、といった点に関しては、練り上げられた世界観なり隠されている謎なりが明らかにされた時点でないと、正直言って判断し辛いし判断すべきではないような気もする。

 クリエーターの意気、という意味で言うならクローンにおける肉体や意識の継続性が主観的な自己の継続性と同義が否か、といった部分での問いかけがなかなかにシリアスで、死んだら再生してもらえるからといって、また再生されたからといって素直に喜べない雰囲気を醸し出して、あっけらかんとしがちなゲーム仕立ての戦争に陰影を与えている。登場人物たちのプラトニックだったりエロティックだったりする関係など、緊迫した雰囲気の中で漂う淡い感情の機微も楽しめる。

 が、期待するのはやはり謎の解明と人類の行く末。戦いの渦中で生まれる圧倒的な戦闘能力を持った超人「聖痕者(スティグマズ)」の役割とはいったい何なのか。その結果人類はどこへと導かれていくのか等々。「ガンパレ」に類似していると言われることを覚悟の上で「シックス・ボルト」を書いた以上、先行する傑作を上回るメッセージとビジョンを、神野オキナには見せてもらいたい。

 緒方剛志描く表紙の美少女の格好が、「新世紀エヴァンゲリオン」に出てきたプラグスーツに似た体にピッタリとした服を着ており、髪も薄い青という綾波レイに似たタイプになっていることが、クローン再生というガジェットに「スティグマ」という「エヴァ」で言うところの暴走に似た現象も含めて、「ガンパレ」に重ねて「エヴァ」との関係性も伺わせてしまう。

 そこまでは意図していなかったにしても、結果としてスタート地点は後ろ30メートルから50メートルへと引き下げられてしまったことに変わりがない。ハンディをカバーするには短距離だったら圧倒的な馬力で追い抜くしかないし、長距離だったスタミナで追いすがりゴールまでにトップへと出るしかない。いずれ劣らぬ荊の道にどう挑む? 神野オキナのその筆は。


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