しおんの王
The Flowers of Hard Blood

 将棋のプロ棋士に女性はいない。中井広恵や清水市代、失踪とヌード写真集で有名になった林葉直子といった女性の棋士たちは、あくまでも「女流棋士」であって正式なプロ棋士とは違う。奨励会に入り級を上がり段位を上げ、そしてたどり着いた三段リーグを勝ち抜けた者だけが四段となってプロと呼ばれる。その栄誉に女性が名を連ねたことは未だかつてない。

 女性が弱いからなのか。そうとは限らない。93年に中井広恵が「竜王戦」でプロ棋士を相手に公式戦初勝利をあげて以降、10年余りで50勝以上の勝ち星を女流棋士が重ねている。体力がないからか。フルマラソンを走り切る女性もいれば100メートルで息を上げる男性もいるように、持久力で女性が男性に大きく劣るということはない。

 それでもプロ棋士に女性がいないのは、将棋を指す女性がそれほど多くないという問題と、どれだけの経験を詰めるのかといった問題にあると見るのが一般的だ。将棋に強い男の子たちが大勢集まって競い合う中では、1人2人といった女性の棋士はほどほどの強さがあっても目立たない。大勢の中から同じレベルの棋士たちが集まり切磋琢磨する男性と違って、人数が少ない関係でレベルに差が出る女流棋士では腕を磨くのも難しい。

 奨励会を勝ち抜いたものだけがプロ棋士になれるルールが厳然としてある以上、女流棋士がプロ棋士たちと対等の立場に遇されることはない。それでも名人位への挑戦者を決める順位戦や棋王戦をのぞけば、ほとんどのタイトル戦に女流棋士の参加は認められ、タイトルを獲得する道筋だけは与えられている。

 いつか圧倒的な女性の棋士が登場し、女流として参加したタイトル戦を勝ち抜くなりすれば棋士になろうとする女性も増え、すそ野がひろがり奨励会に参加する女性も多くなってその中から、正式のプロ棋士へと上り詰める人も出てくるのだろう。かとりまさる原作、安藤慈朗漫画の「しおんの王」(講談社)に登場する、男性にも互した力を持った女流棋士たちの活躍が示唆するように。

 両親を目の前で何者かに惨殺され、ショックで声を失ってしまったもののどうにか立ち直り、隣家だった名人位にも挑戦するような力を持った棋士の安岡に弟子入りして、女流棋士を目指していた中学生の少女・紫音(しおん)。物語は、立ちふさがるライバルたちを相手に、しおんが力を絞り出して戦うストーリーをメインに進んでいく。

 しおんの前に立ちふさがったのは、女流棋士への第一関門となる女流育成会の最終戦で、ともに全勝で当たった相手が斉藤歩。細い体で長い髪の両脇を結んでたらし、眼鏡をかけた怜悧な表情を持った少女で、放つ気合いにも負けない女流棋士への強い意志を持ってしおんに挑んで来る。

 1巻の段階で歩の正体が判明して、層の薄い女流棋士の世界ならではの事情が浮かび上がって来るが、だからといって歩が圧倒的ではないところに、女流といっても力で劣っているのではないのだと教えられる。第2巻。体調を崩していたしをんを破ってトーナメントを勝ち上がった歩が、決勝で対局したのは女流初段の二階堂沙織。その強さ、その華麗な駒さばきの前に歩は、「金のため」という対局の上の信念を曲げてしまい、敗れ去る。

 秘密を抱えて女流棋士を続ける斉藤歩に、現役の女流棋士では屈指の力を持った二階堂沙織。そして両親が殺害されたという心の傷を今なお抱え、なおかつ未だ捕らえられていない犯人の影も見え隠れする中で、強い棋士へと成長していこうとするしおんの3人の”美少女棋士”たちが織りなす物語は、この先どこへと向かって進んでいくのか。そこで何が描かれるのか。

 厳しい結果が待ち受けているのかも知れないし、陰惨なドラマが待っているのかもしれないが、それでもそれぞれに想いを抱いて将棋盤へと向かう3人に、幸いが待っていることを望みたい。

 2巻の末尾。IT企業のトップという男が現れて告げたのは、男性も女性もなければプロもアマもない、誰でも参加可能な棋戦の創設というトピックが示された。折しも将棋界は、2005年になって奨励会を年齢制限から大会せざるを得なかった瀬川晶司アマのプロ転向を、場合によっては認める決定を下して、世間に変化を印象づけた。男女もプロアマもないオープントーナメントに挑むだろう3人の少女たちの活躍が、より広く自由でかつ厳しい場へと将棋界が変わっていく、その兆しとなれば面白い。

 余談だが、斉藤歩という存在が果たして現実的にあり得るのかという疑問は、「しおんの王」が続く限りは頭を悩ませ続けそう。この国で果たして斉藤歩のような存在をメディアが許すのか。将棋を指している時の歩と、普段着でいる時の歩の違いぶりは何なのか、等々。それでも眼鏡をかけて髪をしばり、ワンピース姿で将棋盤に向かう歩の美しさは紛れもない事実。将来において話がどう転んでも、そんな歩の姿だけは描き続けて欲しいものだが果たして。


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