神異帝紀

 神武以来2660余年、この国を万世一系の皇室が常に統治して来たとは史学的にも科学的にもいえないし、政治学的、経済学的に見れば鎌倉幕府に室町幕府、江戸幕府といった時代はまさしく幕府、すなわち武家がこの国を実質的に統治していた。だから皇室には伝統がなく、今の時代に不要かというとそうではなく、むしろ少なくとも2000年近い年月を、実質的な統帥権を他に奪われながらも続いてきた意味を、踏まえ類推し尊重する必要があると思う。

 簒奪の機会もあっただろうし事実、歴史上の幾度かはそういった可能性も強まった。けれどもやっぱり何人たりとも冒すことが出来ないまま、今へと至る皇室への畏敬がいったい「何」に根ざしたものなのか、というのを考える必要があるだろう。それが何かを突き詰めるのは別の機会に譲るとして、2000年もの年月によって積み上げられたものではなく、歴史的に認められる初期においてすでにその何かは存在していたらしいことが、小松多聞の「神異帝記」(郁朋社、1500円)を読むとうかがえる。

 雄略・武烈といった辺りではすでに大和を支配する一派の長として存在していただろうと歴史的には推定される大王の位が、1度途絶えかけたことがあったらしく、実際に本当に途絶え、簒奪されたのではないかと言う人もいる継体天皇の即位にフォーカスを当てたのがこの「神異帝紀」。雄略天皇によって皇位継承権を持つ者がすべて虐殺されてしまった結果、武烈天皇の後を嗣ぐ者がいなくなる。そうした中、5世の孫までならば「天つ日嗣ぎを受け得る」という典範によって探し出されたのが、近江地方を治めていた袁本杼(おおど)という人物。その申し出を受けた時、彼は戸惑い躊躇したものの最後は受け入れ大王の位を嗣ぐ。

 単純にリーダーというだけなら、大伴物部といった有力な豪族が嗣いで統治しても構わないだろうものを、5代前に遡ってまで血筋を探して皇位を継承させる辺りに、自らを神と位置づけその権威で国を統治する必要性から生まれた、皇室と廷臣とを区別する意識めいたものがあったのだろう。本編の展開にも、一国を統治する上で皇室に聖性が求められたが故の状況が、重要な要素として登場する。

 名を奇姫という少女がいて、浦の島子と呼ばれる男の娘として、討ち滅ぼされた豪族の血筋を引いて生まれ、越と呼ばれる大和より遠く離れた地域に居を構えて暮らしていたが、ある日、幼武天皇が大和を統治する上で打ち立て聖性にとって邪魔な存在として邪神に位置付けられ、放逐された一言主の降臨を受けてその身に神を宿し、葛城の地に一言主を返すことを使命に得て、以来強力な剣士としてその力を振るい始めた。

 折しも世は大和朝廷の基盤が往時の大王、後の武烈天皇の過酷にして苛烈な振る舞いもあって危機に瀕していた時期。挙げ句に大王は身近に子孫を残さずに崩御してしまったことから、権力を狙う豪族たちが、大王の血を引くとされる皇子たちを担ぎ出しては大和に向かって進軍を開始する。困ったのが死んだ大王の姉や廷臣たち。次の大王を継ぐ資格をもった人物を探し出したは良いものの、老いて歪んだ器にはなかなかに荷の重い役割だったようで、いっそう混乱が広がってしまう。

 そんな折、大王を支える人物として白羽の矢が立ったのが先の袁本杼。奇姫は、幼い頃から見知っていた袁本杼を助け、戦の常に先頭にたって神がかりの強さを発揮し、向かってくる敵を打ち倒していく。どうして奇姫に一言主の力が宿ったのか。袁本杼を大王に就けるためだったのか、それとも葛城に一言主を復活させるためのものだったのかは分からない。結果、袁本杼によって一言主の復活が認められそうになるものの、権威の揺らぎにつながる邪神の復活を阻止したい廷臣たちの思惑に、奇姫の台頭を妬む先の大王の姉の画策もあって、奇姫は排除されやがて悲劇が訪れる。

 継体天皇という歴史の上でも謎の多い大王の登場と就位を、往時の軍事的経済的政治的な情勢を存分に勘案した上でリアリティたっぷりに描き上げている点で、ひとつ歴史小説ならではの「見てきたような本当を知」る気分を味わえる。加えて不思議な力を持って大活躍し、その力が災いとなって放逐される、ジャンヌ・ダルクにも重なる奇姫の姿に心惹かれる。さらに神に翻弄された奇姫の運命が意味していた、宇宙規模での輪廻転生とも言える事の真相のスケール感に圧倒され、光瀬龍、小松左京といった日本SF第一世代にも似た読後感を覚える。

 大和を中心に平安を経て流れる物語の前後を挟み、ひとりの老人が死にその死体が忽然と消え失せる事件が語られる、昭和かあるいは平成といった現代のパートが最初は蛇足に思えたが、読み終えた今は実は必要不可欠なパートで、とりわけエピローグにあたる現代のパートでは、娘を想う父親が、長い時の旅の果てにたどり着いた安寧に、涙を流しながらも喝采を贈りたくなった。

 あとがきの部分で、わざわざ5代も遡って王族と言われる人物を見つけ出して来たところに、聖性とは違う軍事的経済的政治的な実力をこそ皇統を嗣がせるに相応する「何か」だったのではないかと見る意見を述べていて、これにも納得させられる。博覧強記とされるその頭脳が、ファンタジックな要素とは無縁の徹底したリアリズムで皇統をつづる歴史物語も、別に読んでみたい気もする。

 豊田有恒が選考委員を務める「古代ロマン文学大賞」の創作部門優秀賞受賞作。メジャーとは言えない賞で、メジャーとは言いがたい版元から出た、新鋭作家の小説の表紙を萩尾望都が描いているのは驚きで、どんな伝を頼ったのだろうと創造しつつ羨望の念にかられたが、運命に翻弄されながらも決然として戦いに身を投じる少女が活躍する、端正でダイナミックで奥深い歴史ファンタジーとして、読み終えた時点では格が違うといった異論は特にない。羨ましいことには変わりはないが。


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