審判の日

 世界はいつ出来たのか。世界は何で出来ているのか。人は何のために生きるのか。人間とはいったい何なのか。そんなこの世の中への疑問をひとつひとつ解決しようとすることで、人間はすこしづつ、そして着実に進歩して来た。

 科学を発達させ知性を育み世界のすべてを百科全書の中へと書き記してきた。更なる科学の発達は、そんな人間の営みを、宇宙の全貌を指先におさまるチップの中へと、押し込めることにだって可能にした。

 だが本当にそうなのか。世界の始まりは200億年前なのか。宇宙は膨張し続けているのか。人間は子々孫々へと遺伝子を運ぶ船なのか。人工知能に人間は必ずや勝るものなのか。

 前作「神は沈黙せず」(角川書店)において、この世界への懐疑を極限まで爆発させ、宇宙の形までをも含めた驚天動地の物語を作り上げた山本弘が、そんな疑問へのひとつの答えを、新作「審判の日」(角川書店、1600円)に収められた短編によって示唆してくれる。

 短編という形式上、スケールこそ大長編の「神は沈黙せず」に及ばないように見える。けれども繰り出されるテーマにどれひとつして「神は沈黙せず」に負けず、劣らず世界の常識をひっくり返し、あり得ないはずの世界に姿を与え、命を吹き込み立ち上がらせる。

 そしてそれらの物語を読む人の、当たり前だった日常にピシッと小さなひびを入れる。ひびはやがて裂け目へと広がり、そこからこの世界への懐疑、人間という存在への疑念を心の奥底へと忍び込ませ、惑乱のうちに最後は心を木っ端微塵に吹き飛ばす。

 冒頭の「闇が落ちる前に、もう1度」。今いる世界が200億年の過去より始まり、未来へと続くという固定観念が崩される。この見知っている風景は、家族は、友人たちは、離れて暮らしている恋人はずっとそこにあったものなのか。どんなに突拍子のないことでも、確率がゼロではない以上、いずれ起こり得るという真理を逆手に取った展開に、佇む足元がぐずりと沈む。

 このテーマは知性を持っていると見られるバーチャルアイドルが、バーチャルな知性を信じないタレントと対峙する「時分割の地獄」とも相通じる。人工知性の可能性についての問答が、ある瞬間で別のフェーズへと映り自分が生きている世界への懐疑に心が覆われまどわされる。

 「審判の日」はもしも世界が突然終わったら、という過去にいくつもの傑作が書かれたテーマの作品だが、その上で繰り広げられる、法や秩序が消滅した中でも人間の倫理を、あるいはプライドを越えて突き進めない人間の奥ゆかしさ、もどかしさに関するドラマが目を潤ませる。

 「夜の顔」と「屋上にいるもの」は、都市伝説的なシチュエーションに科学的な、あるいは常識的な範囲での理屈を付けて、その起こり得る可能性から読む人の心を脅かす。読み終えてふと空を見上げたくなる、屋上の音に耳をそばだてたくなるくらいに心に強く恐怖を与える、頭上に響く音。ビルの合間を横切る顔。聴きたいし、見たいけと思ってもそれが聞こえたり、見えたりした時はお終いなのだ。

 数学や物理学を駆使して不思議な世界に折り合いを付け、そのアクロバティックでパズル的な解釈と展開を楽しむSFも悪くはない。だが「審判の日」にしても「屋上にいるもの」にしても、ストーリーは分かりやすく、複雑な構成とか小難しい理屈はまるでなし。それでいて伝わる驚きや恐怖はしっかりとある。激しくある。

 例えるなら小松左京、平井和正といった日本のSF界で初期に活躍した作家たちが書いた短編群に似た雰囲気を持った短編集。世界はひとつの法則で出来上がってはいないのかもしれない。人間の心にはとんでもない虎が潜んでいるのかもしれない。そう思って身を震わせた10代のSFファンの心へと戻し、知識と常識で固められてしまったこの世に裂け目を与えてくれる。


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