新暗行御史
SHIN ANGYO ONSHI

 政治が今も昔も3流なのはともかくとして、経済が1流だと言われたのもそれこそひと昔前のこと。国の財布を借金まみれにしてでも何とか立て直そうそうともくろんでも、使う頭の悪さがたたってかえって傷口を広げる始末。農業や畜産業はもとより、お家芸だった製造業までもがアジアの各国へとトップの座を明け渡そうとしていたり、すでに明け渡していたりで未来がおおいに心配される。

 なあに、日本にはまだあれがある、世界に冠たる「オタク」文化の御三家たる「漫画」に「アニメ」に「ゲーム」があると思っている偉い人たちも少なくない。なるほど「ゲーム」はハードもソフトも未だに日本がトップを走って世界を席巻しているし、「アニメ」も世界の多くの国へと輸出されて現地の子供達に熱烈な歓迎を受けている。「漫画」は言葉の壁があって難しいものの、こと国内に限っているなら毎週のように大量の作品が生み出されていて、そこから生まれるエネルギーが「アニメ」であったり「ゲーム」の原型になって世界へとつながっている。

 けれども本当にそうなのか。今はそうかもしれないけれど永遠にそうであり続けるのか。と考えると実は幾つかの、あくまでも日本にとっては不安な要素が見えて来ている。例えば「ゲーム」。なるほど家庭用ゲーム機は日本があと10年は先頭を走りそうだしソフトだってこれからの躍進が大いに期待できる。けれども世界が向かおうとしているネットワーク社会の中で、とてつもなく大きな地位を占めて来るだろう「ネットワークゲーム」の分野に限って言うなら、トップが米国なのは仕方がないとしても、それに続いているのは多分、お隣・韓国のような気がしてならない。

 政府によって張り巡らされた極太のネットワークの上で、政府の支援を受けて続々と作られる画期的な「ネットワークゲーム」の数々は、すでに日本でも密かな(あるいはすでに大きな)ブームとなっている。翻って日本はどうだろう。ネットワークは貧弱貧弱貧弱の1語(3語だ)。楽しまれているゲームも「ファンタシー・スター・オンライン」をのぞけばどれもが誰もが知っているというレベルにまでは届いていない。

 「アニメ」はどうだろう。技術的にも内容的にもこの10何年かは日本がアジアでナンバーワンを保っている。けれども「ネットワークゲーム」と同様、本気を出して熱意をもって取り組んでいる韓国のパワーを展示会などで垣間見るにつけ、趣味に走りタコツボ化するファン層にだけ伝わる日本の作品を横目に、10年後に世界を席巻しているのは「韓国アニメ」かもしれないと思えてくる。10年はオーバーでも20年後なら確立は5分と5分、いや7:3で韓国有利かもしれない。

 「漫画」は大丈夫、「アニメ」や「ゲーム」のような政府の支援がなくても才能が1人、いれば世界を席巻できる作品を作り出せる、というのは本当のことだろう。こと国内に限っては30年でも50年でも人材を生みだし続け、「ナンバーワン」であり続けるだろう。ただし「オンリーワン」ではいられない。というよりすでに「オンリーワン」ではない。韓国で、中国で、台湾で続々と日本市場で、世界市場で通用する漫画家が生まれ、育ち作品を送り出している。

 「少年サンデーGX」に掲載されている尹仁完原作、梁慶一画の「新暗行御史 第1巻」(小学館、552円)などは、そのトップランナーに入るだろう作品だ。一足早く日本の紹介された林光黙の「橋無医院」(エンターブレイン)も確かに最先端を行っていたが、こちらがどちらかといえばクールでスタイリッシュな作風だったのと比べると、「新暗行御史」はより漫画的で、比較になるかどうかは難しいものの「孔雀王」の萩野真に通じるパワフルさ、エネルギッシュさを持つ。

 「むかし、むかし、当方に聚慎という国があり、そこには『暗夜御史(アメンオサ)』と呼ばれる隠密要員がいた」「暗行御史は、王の特使として秘密裏に地方を巡り、悪政を糾弾し、庶民を救う聚慎の特殊官吏であった」「言わば、その世界における水戸黄門のような存在である」「しかしその聚慎が滅んだ」「いまだ、一人の暗行御史が浮き世をさすらっていた……」(1ページ)。物語はひとりさすらう「暗行御史」を主人公にして繰り広げられる。

 冒頭の序章。村は家々を焼かれ住民達は魔女だと言われる領主の悪政に苦しんでいた。あまりの酷さに人々は、自分たちを救ってくれる「暗行御史」の訪れを心の奥底から願っていたが、領主の方はと言えばそんな願いを早々と積むべく、手下を派遣して旅人達を調べ上げ、「暗行御史」が村へと入り込まないようにしていた。たまたま通りかかった若者も、同様に「暗行御史」と疑われたが、持っていた家宝を差し出すことで見逃してもらい、無事に村へと入り込んではそこで繰り広げられている圧政の様を目の当たりにする。

 と、聞けばお定まりの「この印篭が見えぬのか」的な展開が期待されるのだが、作者はそんな期待にとんでもない展開で答えてくれる。詳しくは読んで頂くのが早いとして、ひとつ「新暗行御史」について言うならば、奇跡は願うものではなく、自分たちでつかみ取るものなのだとうメッセージが強烈にあって、一堂にひれ伏した後で絶対者によって善は生かされ、悪は懲らしめられる「水戸黄門」とはいささか趣を事にしている。

 正体を明かした「暗行御史」は言う。「これから起こることはすべて偶然だ!」「だから2度とこんなことが起こるなんて思うなよ」。いつか起こるかもしれない奇跡はそれ限りとして、それに頼ることなく自分の意志を持ち続けろというメッセージがそこに込められているような気がする。日本的、「水戸黄門」的な勧善懲悪のパターンにはまらない国だからこその強さなのかもしれない。

 「暗行御史」をサポートする役割を担う闘士「山道(サンド)」と出会う「Classic.1 新・春香伝」でも同様に奇跡の偶然性が強く解かれる。加えてこのエピソードは、ただひとりの「暗行御史」に付き従う「山道」となった女性、春香と彼女が待ち続けた男性、夢龍を主人公にした、韓国古来の小説が下敷きにあって、原作を巧みにアレンジして、引き裂かれた男女の悲しみと新たな旅立ちのドラマを描き出している。

 「Classic.2 孝嶺葬」も同じ。日本で言う「姥捨て山」の慣習に似た高麗時代の風習「高麗葬」を元にして、孝行が何より尊ばれる韓国社会にあっては驚きとも言える、子供による年老いた親の遺棄というテーマを扱い、子の親を思う気持ちの尊さ、親の子を思う気持ちの強さを描き出している。あまりにストレートなメッセージのため、すれっからしの多いこの国では、ともすれば反抗心を引き起こしかねない心配もあるが、見て馴染みやすいキャラクターによるスタイリッシュな動き目にしながらだと、紡がれるドラマも胸にジンワリと染み渡って来る。

 絵で言うなら「山道」となった春香の戦闘美少女ぶりは、戦闘美少女コミックに戦闘美少女アニメに戦闘美少女ゲームがゴマンと蔓延る日本にあっても、トップクラスの可愛さと強さを持ったキャラクターとして、高い支持を集めること請け負いだ。豊かな胸とスレンダーな手足を持った全裸の体は、細い革ひものようなもので部分部分を縛られ、目に圧倒的な官能をもたらす。

 いったん戦いへと入れば、左手に持った巨大な剣を軽々と振り回していかなる武術家も切り刻み、飛んで来る鉄砲の弾丸すらも切り落とす。鬼の手と化した右手はいかなる悪鬼も引き裂き、握りつぶす。引き裂かれた夢龍への想いを胸に抱きつつ、遠くを見ているような目に時折、涙を浮かべて「暗行御史」に付き従う健気さに、心は激しく動悸する。今ある漫画で確実に5指に入る戦闘美少女キャラクターだと断言したい。

 今なお連載中の「サンデーGX」で出会いと別離を重ねながら、偶然の奇跡を起こして国中をさすらい続ける「暗行御史」の活躍を読むことができる。ますますパワフルさ、エネルギッシュさを増すストーリーに完結までの展開が今は楽しみで仕方がない。この成功を糧にして、次の「新暗行御史」なり「橋無医院」が生まれ、海峡を超えて日本へと運ばれ、東シナ海を渡ってアジアに広まり、太平洋を超えて米国へ、ヨーロッパへと広まる可能性にも期待が膨らむ。

 100年先、経済的に破綻した日本が世界の表舞台から消えた後に「漫画」「アニメ」「ゲーム」で世界を席巻している国は別にあるのかもしれない。今、心底よりそう思う。


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