セツ 第1巻

 はっきりさせておくなら、男性だろうと女性だろうと、警察に採用されてたった1年で、警察学校を卒業して警察署に赴任して、そこで刑事になるなんてことはあり得ない。普通は警察学校から派出所、すなわち交番勤務を何年かして、そこで認められて所轄なり、本庁へと上がって刑事になる。

 けれども、そうした現実からしか物語は生まれないという訳ではない。もしもそうした事態があり得たら、という仮説の上で物語を進め、面白さを醸し出すのがフィクションという存在が持つ意義だ。

 とりわけ絵で見せる漫画は、キャラクターの表情なり展開の荒唐無稽さが大いに許された表現形式。木葉功一という、寡作の漫画家が久々に描いている「セツ 第1巻」(実業之日本社、648円)がとてつもなく破天荒であっても、そこから滲む強烈なメッセージに、荒唐無稽だのあり得ないだのといった言葉は、まるで意味を持たない。

 ヒロインの天翔セツは、世界陸上の女子400メートル走で、日本人として初の金メダルを取った天才アスリート。かといって神経質ではなく、むしろ天性の明るさをもっていて、有名人だからと招かれた一日所長の場では、金メダルを見せびらかす派手な言動で、周囲の話題と笑いを取ってみせていた。

 そんなセツの前に、強盗が少年を人質にとって車で走り去るという事件が起こる。セツを見物に来ていた人たちをはねとばし、逃走を続ける強盗に何かを感じたか、セツは犯人を追いかけ始め、最後は自らの健脚を飛ばして、ぎりぎりまで追いつめる。

 その瞬間、セツは金メダルをとた陸上競技場でも見えていて、けれども決して届かなかった星を見て、これぞ天職と感じて警察に入る。

 そして1年で刑事となるという無茶を見せ、配属された生活安全課でセツは、早々に女性の万引犯を捕まえ手錠をかける。ところが、まだ店内で支払う可能性もあった中での逮捕は行き過ぎと指摘されて意気消沈。さらに、その万引犯が、防犯カメラにはしっかりと万引している場面を押さえられているにも関わらず、誰も彼女が商品を持ち出してもとがめないという状況を目の当たりにして、事態の異常さ誰もが感じて動揺する。

 とある事情がきかっけとなって、徹底的に自分を滅していった結果、誰にも気づかれない透明人間のような存在になっていた、万引犯の女性。彼女が徹底して沈黙を貫く頑なさに、セツは憤ってトイレに連れ込み、殴ってまたしても謹慎を食らう。それでも、万引犯の心に見えた星の意味を問い直し、逃すわけにはいかないと突っ走って、万引犯を動かすなにかを見つけだす。

 犯人といえども臆さず容赦せず、けれども時には親身になることもあるセツの振る舞いの無茶苦茶さは、リアルな警察だったら速攻に解雇となり、むしろ逮捕すらされかねないもの。そこを漫画の自在さで包み込みつつ、ちょっとした異質な存在としてセツを描き、そんなセツの振る舞いが警察では異常でも、市民感情にはそぐうものだと示してみせる。

 オーバーだからこそ描ける警察組織の問題点。それは、山野の開発を急ぐ市長をつけねらう殺し屋に挑んで生き延びた次、先輩の刑事を車ではねとばしても、一切咎められることがない、有力政治家の息子の横暴に、真正面から挑んでいくセツのエピソードにも描かれる。

 特殊な存在として、誰にも触れられない政治家の子息を相手に、最初は無垢な心で信じ切り、そこにつけ込んでくる悪意を感じて憤り、敵として真っ向からぶつかっていって、最後にしっかり勝利する。痛快きわまりない展開に、貫く信念の格好良さ、燃やす情熱の素晴らしさといったものを、誰もが感じ取って歓喜する。

 考えるな。走るんだ。そう言ってやりたいくらいの感情すら浮かぶが、そこは世界を相手に1歩も引かない健脚を持ったセツだからこその成功。秀でた能力と天性の素直さがあってこそ、貫ける正義があったのだと知って、まずは己の体と心を清め鍛えるところから始めよう。


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