セオイ

 面白くて面白くて、読み始めたら最後まで一気に読んでしまう小説が丈武琉の「セオイ」(ハヤカワ文庫JA、720円)。アガサ・クリスティー賞の最終候補に残っていた作品で、受賞はしなかったものの、その面白さを認められて刊行へと至ったという。

 アスキー・メディアワークスの電撃小説大賞だと、最終選考にすら残らなくても3次あたりで気になった作品を拾い上げ、書き直させて刊行へと至らせるケースが多々あって、そこから大人気シリーズが幾つも生まれている。宝島者の「このミステリがすごい!大賞」からも、岡崎琢磨の「珈琲店タレーランの事件簿」が、受賞を逸しならがらも刊行されては、数十万部のベストセラーとなった。

 「セオイ」もそんな“発掘組”からのベストセラーになる可能性があるかというと、あるだろうというのがひとつの答え。読みやすい上に読ませるストーリーの妙があって、読む人に強くアピールする。いったい何が起こっているんだろう。そしてこれから何が起こるんだろう。そんな興味を引いては、すいっと不思議な世界へと連れて行かれる。

 「セオイ」とは他人の人生を“背負って”あげて間違いを軌道修正させるような能力を持った人であり、その行為を指す言葉。鏡山零二もそんなセオイを生業にしているひとりだった。カーナビのソフトを開発して、一時は大きく業績を伸ばしながらも、ネットから情報がとれる時代になってカーナビソフトが売れなくなり、業績が傾いた会社の社長が客となった仕事では、家庭を顧みず友人を裏切って歩んできた人生を背負い、彼が現在を自省し過去を悔い改めてやり直す道を選べるようにしてあげた。

 彼が助手のように使っている赤星美優という女性も、セオイの力を持っていて、結婚に何度も失敗して来た女性経営者が過去に経験した辛いこと、その反動で母親を恨んでいたこと、それが自分の人生に少なからず影を落としていたことを聞いてその人生を背負ってあげて、彼女の心に積もった澱を取り払い、縛っていた鎖を断ち切って新しい方向へと導いてあげようとした。

 面白いのは、決して過去へと戻って選択肢を踏み間違えないようにして、快適な人生を選ばせるようにするのではないという部分。会社が傾いたり母親との確執が最後まで続いていたりした経験そのものは残しながらも、そこから自暴自棄とかへと至らせず、自死とかへも向かわせないで最善へと向かわせようとする。

 簡単に過去は変えられない。けれども未来なら変えられる。そんなメッセージをもらえるようで、読んでいて嬉しさが感じられたけれど、なかなかどうして、小説としての「セオイ」には全体を覆うような大仕掛けが待っていた。人生を間違えるよりも悲惨な結末が待っていた過去そのものに干渉する展開があって、ラストに嬉しさ半分、寂しさ半分の余韻が漂う。

 それがどういう意味かは「セオイ」という小説を読んでみれば分かるとだけ。なるほど、過去にひとりの青年に疑いの眼差しを向け、その母親を落胆からの自殺へと至らせた刑事の後悔、娘を殺人鬼によって殺されてしまった男の哀しみ、自分が撮った写真が父親の暴力から逃げていた母親と少年の所在を知らせる結果となって、そして少年の殺害を招いた写真家の絶望があったとしたら、そちらをまず癒してあげたるべきだと誰もが思うだろう。

 元彼だった男がストーカー行為の挙げ句に、自分の親族を殺害して自殺した女性の疑問、交通事故で妻子を亡くした男の慟哭といった、人の死が関わるシリアスな問題をこそ、セオイによってなかったことにできれば、気持ち的にはホッとするかもしれない。けれどもその結果、失われてしまった幸せがあるかもしれないと考えると、どっちを選べば良かったのか、どっちも選べなかったのかといろいろ考えてみたくなる。

 セオイという仕事があって、それが成す人間のあり得たかもしれない人生をあり得たものにすることの価値を感じさせ、翻って自分の人生を選び間違えていないかを考えさせる設定は面白く、そんなセオイに対抗するかのように、悪意を持って人の人生に干渉する存在があって、真っ向から対決するという展開もスリリング。そこから浮かぶ、誰のどの人生が本物で、どれが偽物なのかが分からなくなって迷い、惑わされるシチュエーションが特異で引きつけられる。

 本当の人生と、バイパスの人生がSFで言うところの多元世界的なものなのか、別の心理的な物なのか、考え出すといろいろと設定についても探求できそう。ひとり1人の人生について、背負い背負われる連作短編としても成立し得ただけに、この1冊で完結させてしまうのは勿体ない。設定を残しつつ別口でシリーズ化ということも、考えてみたいし考えさせてもみたくなるが、果たして。


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