青年のための読書クラブ

 本を読む。とりたてて咎められることなどない行為のはずなのに、場所や時代によっては異端と見なされ、責めを受ける。

 桜庭一樹が「青年のための読書クラブ」(新潮社)で舞台にした女学校の聖マリアナ学園では、読書は決して歓迎されるべき行為ではなかった。読書クラブは生徒会や演劇部といった、権勢を誇ったり華麗に輝いたりする活動とは対極に置かれ、権勢に抗し華麗さを汚すべく情報を求めて、地べたを這いずり木によじ登る下品な新聞部と同格、あるいは更に下とみなされ、廃墟となった赤煉瓦のビルに押し込められていた。

 なぜなのか。ただ知識を得たい。ただドラマを感じたい。それだけの理由で本を開いて書かれた中身に耽溺する行為が、なぜ蔑まれなければならないのか。ひとつの思想が統べる世界に、本からもたらされた知恵など不要。限定された空間が形作るひとつのドラマに、本に記された別のドラマがいらぬ混乱をもたらす。等々の理由があったからなのかもしれない。事実、読書クラブの異端者たちは学園にたびたび事件を引き起こす。

 1919年に創設された聖マリアナ学園は、山の手に広々とした敷地を持って幼稚舎から高等部までの生徒が通う。別に大学もあって3歳から幼稚舎で学ぶような生徒はいずれも良家の子女ばかり。楚々として礼儀正しくそして可憐。しかし、そんな乙女の園にもはみ出しものは生まれる。ほうぼうで爪弾きにされた挙げ句に読書クラブへとたどり着く。

 1969年に入学した烏丸紅湖もそんな1人。元子爵の三男が大阪の女を孕ませながらも知らぬ存ぜぬを押し通し、母親は道頓堀で串カツ屋を営みながら紅子を育てた。しかしトラックに撥ねられ急死。孤児となった紅子を父親は引き取り聖マリアナ学園に入れたが生まれてこのかた道頓堀の串カツ屋で育った庶民の臭いが拭えない。

 高貴な顔立ちながらも異臭を疎まれはじかれた挙げ句に読書クラブにたどり着いた紅子は、妹尾アザミという、成績こそトップクラスながらも「夜の町をさまよう下衆な親父がそのままクリーム色の乙女の制服を着たような」風貌ゆえに疎まれ読書クラブに巣くっていた部長のプロデュースによって、乙女の学園には異質な、けれども乙女の心を刺激せずにはおかれない、不良性を持った王子様的キャラへと生まれ変わる。

 シラノ・ド・ベルジュラックの言葉を伝令よろしく伝えるクリスチャンの如く、紅子はアザミの言葉をただ伝える役割に徹して乙女たちを惹きつけ、学園に制度として伝わる王子の座すら射止めてしまう。しかし、結局は庶民の出だけあって役割に徹しきれず恋をし結婚を選び中退し、学園の記録から抹消される、それを密かにつづった読書クラブ誌の記録が、少女の未熟さゆえの翻弄され易さと、純真さから生まれる残酷さを浮かび上がらせる。

 学園を創設して誰からも聖人と慕われながらも、1959年にこつ然と姿を消してしまった修道女の聖マリアナが、来日前にフランスでどんな苦しい経験をし、どんな悲しい過去を背負って日本に来たのかを描いた第2章。バブルの時代に短いスカートの奥をおぞかせながら、極彩色の扇子を手に持ち外部から学園に進学してきた女たちが、旧弊な制度を打ち壊してのし上がろうとして果たせず、読書クラブにかくまわれながら、それでも己を貫き通した第3章。それぞれの時代に生きるそれぞれの少女たちの感性が描かれていて興味をそそる。

 ロックスターが突然生まれ、こつ然と消えるエピソードを経て第5章で、時代は聖マリアナが予言された100年後の2019年へと至り、読書クラブ崩壊のエピソードが繰り広げられる。学園に跳梁して乙女の危機をそっと救う「ブーゲンビリアの君」の出現と退場の一幕が演じられて読書クラブは赤煉瓦の旧校舎から消滅し、そして時代を経ても残る中野サンプラザで密かに営まれる新たな読書クラブへと、秘密のクラブ誌が受け継がれる。

 全共闘にジュリアナと、時代時代の雰囲気を混ぜつつ描いている点は、鳥取に生きた女三代の姿を描いた「赤朽葉家の伝説」や、過去から現在、そして未来へと飛ぶ女の生と死を描いた「ブルースカイ」とも共通する構成。女性の生涯を時代背景も含めて事細かに描いていった「赤朽葉家」に比べると、「青年のための読書クラブ」が少女も、時代も描き方が構築的になっている。

 社会とリアルに結びついた人たちを描いてあった分、記録を羅列したような背景の描き方が書き割りのようになってしまって、時代に生きた記憶を持つ人たちに薄さを感じさせてしまった「赤朽葉家」。対して「青年のための読書クラブ」は、時代性よりも乙女という存在を描く方に重点が置かれている分、書き割りのような背景の前に、時々によって変わる乙女という存在が、くっきりと際だって現れる。

 そんな乙女の存在に古今も洋の東西も問わず様々な本が絡んでは、庶民を王子に変え内気な少女をロックスターに変え怠惰な青年を求道者に変えそして乙女を女に変える。本に記された経験たち。本に刻まれた歴史たち。本に詰まったそれら豊穣な果実をひとたび食べてしまったものは乙女の園にはいられない。秩序を乱し平穏さを崩す。だから追放される。

 けれども、人間が楽園を追放されて未来を自ら切り開く権利を得たように、学園の少女たちは本を読んで蔑まれながらも自らを掴んだ。狭い学園を飛び出して広い世界を視る目を得た。そんな目があったからこそ100年の歴史に起こった数々の出来事を、見過ごさず黙殺もせずに記録できた。本の怖さとそれ以上のすばらしさ。「青年のための読書クラブ」の底流から、そんな本への想いを嗅ぎ取ろう。感じたら最後。もうそこに引きこもってはいられない。


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