聖母の部隊

聖母の部隊

 目立たない奴だった。いや、こっちが勝手に、そう思い込んでいただけなのかも知れない。口を開けば九州弁(久留米弁らしい)でとつとつと話すし、年齢も現役で入った僕よりは、2歳ばかり上のようだった。ちょっと背中をかがめて、おおきな鞄をかかえて、豊橋市町畑町にある大学のキャンパスを、いつもセカセカと歩いていた。柔道の時間だけは、黒帯を持っているということで、先生といっしょになって指導する側に回っていたが、それでも決して大きな声を立てることはなかった。2年間もいっしょに柔道や英語、中国語を勉強したのに、まともに会話を交わしたという記憶はない。

 卒業してからしばらくして、後輩から「大学の卒業生が文学賞を取った」と聞いた。何の賞だろう、そう思って本屋に行き、あれこれと雑誌を探して、発見した。「日本ファンタジーノベル大賞」、その記念すべき第1回目の受賞者に、見覚えのある名前の男が輝いていた。酒見賢一である。

 小説新潮に掲載された「後宮小説」はむさぼるように読んだ。その後しばらくして掲載された「墨攻」は直木賞候補にもなった。中国に関する勉強で知られた学校である。むべなるかなと思ったが、そんなこちらの思い込みを、彼の2冊の単行本が、良い意味で裏切ってくれた。講談社から出た「ピュタゴラスの旅」と、徳間書店から出た「聖母の部隊」。特に後者を読んで、酒見氏がこれほどまでに、SFへの強い思い入れを持っていたことに、どうして学生時代に気が付かなかったのかと、悔やまれて仕方がなかった。研究室で「SFマガジン」を読んでいても、ハヤカワや創元の文庫を読んでいても、誰も何とも言ってくれない。小松左京が好きで平井和正が好きで諸星大二郎が好きだった僕が、高校時代の同級生を1人除いて、今に至るまで出会うことのなかったSFファンが、すぐ側にいたのだ。

 徳間ノベルズから再刊された「聖母の部隊」(780円)のあとがきで、酒見賢一はこう書いている。「僕にとってのSFとは一言でいえば”何でもあり”の魅力であった。面白いものはみなSFに引き込みたいとおもっていたSF読者であった。僕にはドストエフスキーだろうが「青春の門」であろうが、面白ければSFだったのである」。解る。この気持ちは痛いほど良く解る。「パラサイト・イヴ」がミステリーの方に引っ張られて批評されている現状への問いかけ、京極夏彦をSFゾーンに引き吊り込もうとする積極的な力が働かないことへの苛立ち。このところのSFの浸透と拡散ぶりに、寂しい思いをしていた僕と同じ気持ちを、彼も抱いている。

 「聖母の部隊」に収録された作品は、「自分の出自はSFだった」と作家本人に言わしめるほど、どれも気持ち良いまでにSFだ。現実の世界に重なるように存在しているダンジョン・アンド・ドラゴンの世界で、いつもどおりの仕事をこなす情報部員たちの話「地下街」、終末の夏の日を、たった2人で過ごす恋人達の切ない会話「ハルマゲドン・サマー」、親に死に別れた子供を鍛え上げて戦士に仕立て上げる女の揺れ動く感情が、子供の視点から伝わってくる表題作「聖母の部隊」、新しく入れられた、昔のアメリカSFを読むような読後感を味わえる「追跡した猫と家族の写真」。読み返すたびに、またSFを書いてくれないのか、いやSFを書くべきだと、声を大にして言いたくなる。

 酒見賢一のSF作品は、いずれもSFアドベンチャーに掲載された。慧眼の編集者だったに違いない。当時不思議だったのは、SFマガジンが何故、酒見賢一にSFを書かせないのだろうか、ということだった。夢枕獏に「上弦の月を食べる獅子」を書かせたSFマガジンが、SFを書きたがっている酒見賢一にどうして作品を依頼しなかったのだろうか。「後宮小説」は、レビューではほとんど触れられなかったと記憶している。今からでも遅くないから、すぐに豊橋に行って、原稿を頼みなさい。酒を持っていくことを忘れずに。

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