シークレット・ハニー 1.船橋から愛をこめて

 千葉県船橋市が舞台であるというだけで、誰が何をどう言おうとも傑作であることに間違いはないのだけれど、それを書いたのが「ヤングガン・カルナバル」をはじめ数々のヒット作を世に送り出している深見真であるということで、傑作の上に大を幾つもつけて当然だと読む前からも、読んだ後も断じることが可能だろう。それが船橋愛というものだ。

 まず驚くのが「シークレット・ハニー 1.船橋から愛をこめて」(富士見ファンタジア文庫、580円)というタイトルだ。東京都内の渋谷区や港区や世田谷区といった上品な街でも、江戸川区や台東区や墨田区といった活気溢れた下町でもなく、吉祥寺だの国立だのといったオシャレさが漂う地域でも、町田市だの八王子市だのといったティーンが暮らす郊外でもない。せいぜいがサッカーの名門校が浮かぶくらいの、千葉県船橋市がサブタイトルに入ったライトノベルを、普通の感性だったら何だこれはと読む前から斬り捨ててしまうだろう。

 おまけに、せめてもの名物として、市民には知られている西武船橋店の屋上にずっと佇み続けている羊たちは出てこないし、駅前にある1杯280円のラーメン屋さんも出てこない。もちろん、今なお多くの男たちの好奇を集め続けている、エンターテインメントの殿堂「若松劇場」も登場しないストーリーの、いったいどこが船橋愛に溢れているのだと言いたくなる人もいるだろう。

 それでも、駅前にあって新刊書籍から漫画からライトノベルからアメコミまでを揃えて販売し、レンタルビデオ店も供えて文化の殿堂となっている「ときわ書房船橋本店」から名を取った、みのり書房という書店が実物そのままの偉容で登場。そのあまりにも正確な描写から、あるいは本当にこの書店にはミリタリー好きで肉体をとことんまで鍛え、時々は海外に銃を撃ちにいったりもする格闘系の店員がいたりするのかもしれないと思ってしまう。

 それに、決して目立つ名所は出ていなくても、住みやすそうな街だという雰囲気はよく出ている。これでも存分な上に、第1巻から船橋のすべてを余すところなく紹介しては、後が続かないというものだ。まずは掴みとしてみのり書房をさらりと紹介しつつ、いずれ海老川にかかる13の橋に刻まれた不思議なモニュメントたちの謎から、アンデルセン公園というメルヘンチックな名前の公園が、どうして船橋にそれがあるのかといった謎まで、いろいろと書かれていくものと期待して、まずは皮切りとなった第1巻。

 船橋海老川高校に通う飯田五十六という少年は、どういう訳かその学校に40年近く存続している、危機管理部という部活動に入っては、あらゆる危機を想定した訓練に実地で挑んでいる。その日も、中世の騎士よろしく自転車にまたがり、馬上槍(ジョウスト)の模型を構えてぶつかり合う試合の再現に挑んでいたら、危険だからと同級生でクラス委員長の四天王寺花蓮という女子が現れ、自転車の間に入って止めようとした。

 避けようとして五十六は大転倒。そこで対戦していた相手ともども前後から、あるいは左右から少女を串刺しにしてスプラッタな物語が幕を開けるところだったけれど、流石にそれは避け、ちょっとしたケガをしつつも起きあがり、家へと帰ったらそこにアメリカから来たという美少女が、いきなりホームステイしていたという、ボーイ・ミーツ・ガールの展開へと進んでいく。何という幸福。

 なおかつ名をキャスリン・涼音・アメミヤという美少女は、妙に日本の漫画とアニメに詳しくて、そこに描かれていたような男子と女子の同居シチュエーションを真似ては五十六へと迫る。五十六もげろ。もっとも、そこで彼女に靡くような熱情とは縁遠い性格の五十六は、彼女のアプローチにもまるで動ぜず、むしろ珍しい外国人の少女が存在していることの方に驚き、不思議がる。

 加えてアルバイトをしているみのり書房に行けば、新しいバイトとしてそこにもやはり外国人で、ロシアから来たという美少女のオゴロド・タチアナニコワがいたから驚きは二乗。店頭に本を出すための準備をしている最中に、なぜかいきなり着ていたレザースーツの前にあるファスナーを下ろして肌を見せたりしてくるから、五十六の驚きはさらに膨らむ。五十六爆発しろ。

 幸福を通り越して、得体の知れない何かがあるとしか思えないシチュエーションは、五十六が日曜日ともなれば通っては、8時間のコースを選んでそのうち6時間かけて授業の復習をし、残り2時間でDVDなどを見たりして凄く漫画喫茶でも起こっていて、どうやら中国から来たらしい新しい美少女の店員がいて、五十六の前で妙な存在感を示す。五十六雲散霧消だ。

 周辺で連続して、3人もの外国人の美少女たちが登場したことを訝る五十六。それでも大きな事件の予兆とは考えず、今まで通りに漫然と生きようとしていたところに、事件が起こった。というより彼自身が事件の中心に立たされていた。そして始まる、飯田五十六という少年をめぐるあれやこれや。彼に隠されているらしい秘密をめぐって、アメリカとロシアと中国の諜報機関の凄腕でなおかつ美少女たちがバトルを繰り広げたり、共闘したりと大騒動を引き起こす。

 五十六を狙った軍用ヘリが船橋市上空を飛んでは、五十六が乗った車を攻撃する派手なアクションも展開される。そのあたりの銃器の描写、攻撃の描写は「アフリカン・ゲーム・カートリッジズ」などの著作を持つ深見真の、最も得意とするところ。お楽しみあれ。

 そんなこんなで、ようやく自分が特異点めいた存在だと知った五十六を、守るかのごとく3人の凄腕エージェントが取り囲んださらに外側に、自分の正体を明かせないいたいけな日本人の少女もいたりしてと、何角にもなった関係がこれから繰り広げられていくのか。最後の最後で明かになる五十六の秘密が、量子コンピューターの予測する世界の危機といたいどうつながっていくのか。

 そこへの興味に加え、さらに新たなエージェントが増えて幾重にも重なるドラマが繰り広げられる可能性を楽しみにしつつ、何よりどこまでディープな船橋がそこに描かれるのかを想像して、続く展開を待とう。アッサムのカレー390円を出すことも忘れずに。


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