スクリーミング・ブルー
ScreamingBlue

 戦争の島で犠牲の島で占領の島で基地の島で、日本と中国と韓国と台湾の地理的にも歴史的にも狭間にあって苦労して、産業は起こらず経済的に恵まれず……といったどちらかと言えばネガティブなイメージが沖縄に関してはあるが、一方では数年前からの沖縄出身のアーティストたちの活躍があり、成長が停滞期に入って人間の心のポッカリ生じた隙間を埋めてくれる自然があり、都会では失われてしまったプリミティブな習俗が今も人々の生活にしっかりと根ざしている……といったポジティブな部分に目を向ける人が多いことも事実だろう。仲間由紀恵は美人だし。

 「何を勝手なことを」と現実の沖縄で苦労している人たちには思われるかもしれないことは承知の上で、それでもやっぱり「何かありそうな場所」と沖縄のことを思ってしまう気持ちは拭えない。通り抜けて行くだけの「観光客」だと自覚しつつも、というより普段は得られない何かを探し求めてさまよう「観光客」だからこそ、同じ国で在りながら違った歴史を、習俗を持つ沖縄に強く憧れてしまう。上原多香子も美人は美人だし。演技はペケだが。

 加えてそんな気持ちを増幅してくれる”不思議の国の沖縄”を描いた小説作品が何作品も登場しては、都会の人間たちから失われてしまった、というより生活のために排除して行った”不思議”へのノスタルジックな憧憬をあおりたてる。池上永一の「風祭車(カジマヤー)」「レキオス」、目取真俊の「魂込め(まぶいぐみ)」、又吉栄喜の「豚の報い」等々。ほかにも多くの作家たちが沖縄の不思議を描いては読む人を惹き付けて離さない。池澤夏樹はどうしたものか意見保留。

 藤木稟の「スクリーミング・ブルー」(集英社、1800円)も、ノロとかユタとかセジとか魂込め(まぶいぐみ)とかいった古くからの伝承伝統が、島民の普段の生活のレベルにまで深く色濃く残っている島という、沖縄に抱くイメージが取り入れられている小説として、読者の「観光客」気分を喚起してくれそう。ただし全編がそういった”不思議な沖縄”で彩られている訳ではない点が、前出の小説群とは若干異なる。サイコサスペンスあり、ポリティカルフィクションあり、近未来サイバーアクションありといった様々な要素が詰め込まれている点で、ある意味”怪獣映画”だった「レキオス」にも通じるような、迫力のあるエンターテインメントに仕上がっている。

 少女から生きながら血を抜き取り、恥骨から喉元までをズラリと切り開かいて内蔵を取り払い中にハイビスカスを詰め、穴の空いた船に縛り付けて沖に流してそのまま沈めるというシチュエーションの殺人が連続して発生した沖縄に、プロファイラーの女性捜査官と、久義という名のキャリアの刑事の2人組が乗り込んで来て捜査に当たる。沖縄に古くから伝わる神様を鎮める儀式との相似性が取りざたされる中で、2人は不法入国者たちが数万人規模で住む「ボンベイ・シティー」なる場所へと出入りしたり、村人たちの間を聞き込みして回ったりしながら事件の確信へと迫っていく。

 どうやら沖縄に深い地縁のあるらしい久義の記憶の奥底へと封印された過去が、少女たちを切り裂いては海へと流す事件の真相へと絡み始めた一方で、荒れた沖縄に再び幸をもたらすために、ニライ神を接待するための「ウプシニーグ」と呼ばれる儀式が執り行われることとなり、1人の少女が身を捧げる。やがて物語は、久義たちが連続殺人犯の正体と犯人が犯行へと及ぶに至った悲劇的な過去を突き止め対決へと臨み、巫女たちもウプシニーグによって島を危機から救おうとする、現実と非現実が交錯し混交するエンディングへと向かって行く。

 精神医学や外交といった部分で説明が付けられそうなことと、”不思議の国の沖縄”とした言いようのないことが入り交じって描き出されている点で、この本をミステリーと呼ぶかファンタジーと呼ぶかホラーと呼ぶかSFと呼ぶか悩む。ラージプートという名の沖縄に住むジャイナ寺院の指導者の登場は、現実の沖縄とも幻想的な沖縄ともかけはなれていて、いささか唐突な印象を受ける。「ボンベイ・シティー」が存在する架空の沖縄が舞台ならそれもあるが、だとしたら今度は現実に足のついた捜査を行い、合理的な解釈に向かおうとする久義のエピソードだけが宙に浮く。

 ジャンル分けなど無視して純粋にエンターテインメントとして楽しむにしても、人によってはこうした要素のブレンドの具合に、どっちつかずの不安感を覚える可能性もないでもない。が、ストレートに政治や軍事と深く関わる過去が一種のトラウマとなって起こった事件として解決したら、”不思議の国”沖縄を舞台にした意味がなくなる。舞台が沖縄であればこその感傷と感動と官能の混然としたエンディングを迎えることが出来た訳だから。

 ネットを駆使するインド人にしても、本土から逃げ延びて来た不法入国者たちの集団に、沖縄を舞台に花開きつつあるIT(情報技術)産業が結びついた結果と見れば、納得もできよう。やはりこの際沖縄という場所、多彩な配役、入り交じったガジェットのすべてを妥当と認め、ジャンルは無関係に娯楽小説として楽しむのが真っ当なスタンスだと思うことにしよう。


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