砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない
A Lollypop or A Bullet

 「芥川賞」があらゆる文芸作品の中からその半期にもっとも優れたものを選ぶ賞ではないことは周知の事実で、「文学界」に「新潮」「すばる」「群像」とそして「文藝」あたりに掲載された”短編”から、担当者によって選ばれたものしか選考の舞台に上がることはない。

 だから富士見ミステリー文庫という”ライトノベル”の文庫から刊行された書き下ろしの新刊小説が、芥川賞の俎上に乗ることは天地が何度ひっくり返ろうともありはしない。だからといって桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」(富士見ミステリー文庫、500円)が綿矢りさの「蹴りたい背中」や金原ひとみ「蛇にピアス」に劣ることには絶対にならない。白岩玄「野ブタ。をプロデュース」と比べても同様。むしろ優れているのはどちらだと、同じ土俵で読めば誰もが思うに違いない。

 もし仮に「文藝」に一挙掲載された上で最近流行の、海なり雲といったものが写った写真が表紙に使われたハードカバーの単行本として出版されたとしたら、そのまま「芥川賞」の候補になって不思議はない。年頃の少女たちが苛烈な状況におかれる中で、さまざまな思いや経験をしながら懸命に生きようとして成功したり挫折したりする姿を描く内容は、”綿金世代”と「芥川賞」の権威にすがるメディアによって迷惑にも括られる同世代的な若手作家のひとりとして、桜庭一樹に注目を集めさせるだけの力を持っている。

 転向してきた美少女は海野藻屑と名乗り、自分を「僕」と称し「人魚だ」ともいってクラスメートを驚かせる。脚を引っかけられて転ばされても負けず、転ばした男子ではなく無関係な山田なぎさの方を向いて「死んじゃえ」と毒を吐く。吐かれたなぎさは最初は戸惑うものの、なぜかその美少女と関わりを持つようになって家を訪ねたり、一緒に映画を見に行くような仲になる。もっともそれで女同士の友情が芽生えたかというとそうはならず、エキセントリックに振る舞う藻屑に振り回され、時には喧嘩もしたりしながら日々を過ごしてる。

 藻屑の父親はエキセントリックな行動でスキャンダラスな話題を振りまく二枚目タレントで、今は山田なぎさの住む街に帰っていて相変わらずエキセントリックな行動で住民たちを困惑させている。学校では毒を吐き突拍子もない行動をする海野藻屑も、スーパーで父親と一緒にいた場面では父親の乱暴な振る舞いを耐え、駐車場に置き去りにされればそこで泣き出す可愛さを見せる。もっともその反動からなのか、父親がいなくなって友人たちに見られていたと分かると、途端に態度を変えて学校と同じように悪態をつく。

 父親に逆らえない心理。父親に逆らいたい感情。アダルトチルドレン(AC)的な性格設定をキャラクターに行った上で、逃げ出せもせずかといって耐えることも難しくなって来た少女のもがきあがく姿を、同級生の山田なぎさの目から描いた物語、というのが「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の骨子といえばいえる。加えて山田なぎさ自身にも抱えた問題があった。なぎさの兄は簡単な言葉でいえば「ひきこもり」で、ガールフレンドとのささいな行き違いがきっかけとなって家に籠もってしまった。

 働かずインターネットで通販ばかりして家計を圧迫している兄を、それでも疎んじることのできないなぎさは、高校進学は諦め中学校を出たら地元にある自衛隊に入隊するんだと決心している。そんな妹の苦渋を知ってか知らずか、兄は本やネットから知識を集めてはなぎさが直面した海野藻屑の問題に、探偵役としてアドバイスを贈る。

 それでも起こってしまった悲劇。というより物語の冒頭ですでに予告されていた惨劇が避けられないまま現実のものとなって、そこに至る過程で果たして何もできなかったのかと心を痛めつけられる。海野藻屑も山田なぎさも、子供のままで砂糖菓子の弾丸を放っていても大人の世界には傷ひとつ付けられないと痛感していた。だからなぎさは弱い兄の庇護者となって、大人になろうと頑張った。逃げ出さずに踏みとどまった。

 けれども海野藻屑は砂糖菓子で作られた”家庭”の城から逃げ出す心を育めなかった。架空の家族を演じ続ける父親の下で砂糖菓子の娘であり続け、そしてそのまま食べられた。大人になること。大人になり切れないこと。大人ではないからこそ直面するさまざまな壁を、物語は2人の少女の2つの路から描き出す。少女として生きたい、けれども少女のままでは生きられない辛さ、哀しさを2人の少女の悩み苦しむ様から感じさせられる。

 SFではくファンタジーでもなく、ミステリーというよりもやはり青春小説というべき物語。「砂糖菓子」というタイトルに反してそこには苦さと痛さがたっぷりと含まれ、読めば舌から心へと深く針を差し込まれた気持ちにさせられる。そうした気持ちに同世代的に共感できる層へと確実に届けられる、という意味で「富士見ミステリー文庫」のパッケージは正解だろう。

 けれどもそうした苦さに子供たちが浸っているということを、知るべき大人に伝わらないこは残念だ。まこと砂糖菓子では大人の社会は撃ち抜けない。この才能には意志を曲げても大人のフィルターでしか下を見ず、大人の感性でのみ下を評する大人の世界にその甘くてけれども毒を含んだ弾丸を、撃ち込んでもらいたくて仕方がない。


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