皿の上の聖騎士<パラディン>1−A Tale of Armour−

 美少女聖騎士十二分割事件。

 そんなタイトルだったら、今時なライトノベルの感じも出たかもしれない三浦勇雄の「皿の上の聖騎士<パラディン>1 −A Tale of Armour−」(ノベルゼロ、700円)。過去、国の危機に立ち上がった英雄がいて、あちらこちらに散らばって住んでいた12匹の霊獣から防具を預かり、それを集めて作った甲冑を着て、国の大難に立ち向かったという伝説があった。

 それからずいぶんと経った時代、大国となったレーヴァテインにあって、救国の英雄の末裔と言われるフィッシュバーン家に生まれた少女アシュリーが、長じてとてつもない強さと、そして美しさを持った騎士となって、これなら先祖から伝わる聖騎士の甲冑を受け継ぐに相応しいということになって王に呼ばれ、重臣たちの前でその甲冑を身にまとったら、とんでもないことが起こってしまった。

 それは見た目にはとてもグロテスクな現象で、もしもノベルゼロが挿絵付きのレーベルで、そこを絵として抜き出したとしたら、どんな風に描かれたのかにちょっと興味が及ぶ。多くがどこかへと散ってしまった甲冑の中で、たった1カ所だけ、その場に残った兜の部分がどのように描かれたのかにも。

 新約聖書を元にしたオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」に登場するようなシーンが思い浮かぶかもしれないけれど、「サロメ」との決定的な違いがあるとしたら、その首は死んではおらず、切断部分から皿の上に血を滴らせてもおらずしっかりと生きていた。物語は、そんなアシュリーの首を引き連れて弟のアイザックが、最愛の姉に起こった事態を解消しようと王たちの元から逃れ、旅をする形で進んでいく。

 まずは同じレーヴァテインに暮らすラゴンを尋ねていって、アシュリーに何が起こっているかを確かめ、そして世界に散らばる霊獣たちを相手に戦いを挑む決意を固めたアイザック。その傍らにあって、とりあえず言葉は発することができる状態にあったアシュリーは、「サロメ」の物言わぬヨハネの首とは違って、案外に美しく感じられるかもしれない。息子に同じ彫刻家の舟越桂がいる舟越保武という彫刻家が手掛けた、少女の頭部の彫刻を見て今にもしゃべり出しそうなその美しさに、手元に置いて愛でたいと思える感性なら、アシュリーの状態も割を平気に受け入れられそうな気がする。

 手元に首が届かないと、ドラゴンのところに現れ襲ってきたヒュドラも、あるいはそうした気分を味わうつもりだったのかもしれないけれど、アシュリーのすべてを取りもどすつもりでいるアイザックが、駆け引き混じりのある提案をヒュドラにしたことで、その場はいったん収まる。そして始まる霊獣たちを相手にしたアイザックの戦いがあり、一方で霊獣たちが互いに互いの持ち分を狙って始めるだろう戦いの行方が、これからの物語で描かれていくことになりそうだ。

 やはり誰もが全身を見たいのか。胸部だけでは我慢が出来ないものなのだろうか。下半身はどこにあってどういう愛でられ方をしているのだろうか。その状態を思うと顔とは違ったグロテスクなビジョンも浮かぶけれど、だからこそ誰もが顔を狙い、全身も狙ってくんずほぐれつの戦いを始めるのだろう。霊獣たちも案外に俗物といったところか。それともアシュリーに伝わるある血筋が、高潔な霊獣たちをも惑わすのか。恐ろしやその魔性の血筋。

 冒頭こそ衝撃のビジュアルから幕を開け、そして霊獣相手という人智を越えた戦いを求められる展開に、どんな激しいアクションが待っているのかと想像もしたけれど、血で血を洗うような戦いには向かわず、どちらかといえば知略でもって大切にされているものを取り引きしていく、クールでゲームのような戦いになっていきそうな予感。ファンタスティックな世界観でありながら、悲劇に悲しむことなく楽しさの中に展開を追って行けそう。ドラゴンの娘が見せる意外というより驚嘆のパワーも、そう思わせる要因になている。

 その意味では、やはり「バラバラにされた美少女の聖騎士ちゃんを聖獣たちが奪い合ってバトルロワイヤル」といったタイトルで既存のレーベルから出ても違和感はなかったかもしれない作品だけれど、それではもう少しギャグに走った描写が求められるかもしれない。ことアシュリーの奪い合いにかけては真剣な聖獣たちとアイザックのスタンスを描くには、ノベルゼロというレーベルがベストだったと理解しつつ、今はその勝負の行方を見守っていこう。


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