太陽の簒奪者
THE SUN USURPER

 足りるはずがないと思っていた。「ファーストコンタクト」という主題。それもシチュエーションを通じて警句を発する寓話とか、ストーリー展開の楽しさが第一に来る活劇といったジャンルに描かれるファーストコンタクトではない、リアルさを極限まで追究した上で描き抜こうとしたファーストコンタクトの物語。その壮大さ、その複雑さを考えた時、300ページにも満たない単行本におさまっているはずがない。そう考えた。

 結論から言えばその懸念は誤りだった。野尻抱介は「太陽の簒奪者」(早川書房、1500円)で、ファーストコンタクトの物語を必要にして十分な文字量で描いてみせた。説明はすべてなされている。簡潔にして明解に、なおかつ深遠さも含んだ筆さばきでもって、人類にいつの日か訪れて欲しいファーストコンタクトの瞬間が描ききられている。むしろ十二分ですらあったかもしれない。

 十二分、というのはこの本の成り立ちと、そして単行本となった今も引き継がれている構成に依るもので、冗長だという意味では決してない。説明するなら当初、「太陽の簒奪者」として「SFマガジン」に掲載された短編だけでも、存分に深さと広がりを持った物語として成立していて、その後の展開を”蛇足”と思うことができない訳ではないからだ。

 単行本では第1部として冒頭に配置された「太陽の簒奪者」に描かれるのは、ある時突然に、彗星に塔が立っていることを発見した人類が、その塔がもたらす人類全体を生存の危機へと至らしめる事態、すなわち太陽を取りまく巨大なリングを建設して、地球に届く太陽エネルギーを妨げようとする、何か得体のしれない存在の企みに、挑み勝利する物語だ。

 いきさつについて詳細を書くことはできないが、その短いストーリーからは、人類が勝利を手にして生き延びることがすなわち、ジェノサイドにつながる可能性があった時に、人はいったい何を考え、どう行動すべきかが提起され、読む者を激しい困惑へと陥れる。正義の御旗の前に犠牲となる存在へのうしろめたさに心とらわれる。

 あるいは何十年かの後に訪れるかもしれない、明か暗かそのいずれでもない事態への想像が喚起され、期待を不安の入り交じった感情にとらわれる。投げかけられるテーマの深淵さ、立ちのぼる感情の複雑さを受けて哲学的な思索に耽る。発表された時も、また単行本の第1部として収録された今も、それだけで存分に味わい楽しめる短編だと言える。

 だからといって第2部以降、「コンタクト」の章があって何ら不満はない。投げかけられるテーマとしての深淵さが第1部から感じられたとしたら、後に続く第2部では積み重ねられていくストーリーの明解さ、積み上げられていくロジックの軽快さが読む者を酔わせる。

 第1部で地球を救った英雄となった白石亜紀。近づくファーストコンタクトに向けて、相手とのコミュニケーションの方法を模索するが、一方で地球を脅かした相手を危険な存在を見て、排除を叫ぶ勢力もあって地球では侃々諤々の議論が繰り広げられていた。

 結果、与えられた最低限のチャンスを、飽くなきコンタクトの意欲でいっぱいにして、亜紀たちはいよいよ”太陽の簒奪者”と対峙することになる。発見から数十年、機会あるごとにコミュニケーションを取ろうと苦心して着た亜紀たちを横目に、まるで得体の知れないままだった”太陽の簒奪者”。そんな相手だけに、描き込めばそれこそ単行本の1冊を費やしてもまだ足りないだろう。事実、「SFマガジン」に掲載されたコンタクトの場面では、その淡々としたやりとりに物足りなさを覚えた。

 が、単行本では間に描かれている人間と人工知能とのファーストコンタクトのエピソードが、”太陽の簒奪者”とのコンタクトの場面の状況を認識させやすくしている。且つ、人間にとって意識の中心になってていると思われている脳を持っていない人工知能の形態への言及が、人間とは異なっている”太陽の簒奪者”の存在を理解しやすいものにしている。結果、少ないページ数でもファーストコンタクトの段取りは過不足なく描かれ、それでいて異なる存在との相互理解、そして共存の可能性という深淵なテーマが描き抜かれている。見事、と言うより他にない。

 さらに。明示された人類の可能性への是非が読み終えて大きく心に影を落とす。すでにしてメディアの発達と、ネットワークの発達が人類に知を共有化させる道を拓き、新しい未来への可能性を伺わせている。けれども”太陽の簒奪者”によって示された未来に、諸手をあげて賛意を贈るには人類はまだまだ拘りが多すぎる。得られたひとつの事実。それを踏まえて人類が選んだ未来を今度は、是非に描いてもらいたい。


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