最後のレストラン1

 織田信長が最後の食事にどんなメニューを望むのか。ということを想像すると、やっぱり興味を抱いていた南蛮文化に敬意を表して、鴨南蛮か鳥南蛮を所望する、ということにはたぶんならずに、故郷は名古屋の味噌がどっぷり乗ったご飯をかき込み、うみゃーと言って腹かっさばき、首打ち切られたかどうなのか。

 いずれにしても、突然の明智光秀による反乱で、ゆっくりと食事を楽しむ余裕もないまま死を迎えた信長に、最後の食事を与えたレストランがあったとしたら、どんなメニューを出しただろう。

 その答えは、藤栄道彦の「最後のレストラン」(新潮社、552円)に登場する、その名も「ヘブンズドア」というレストラン店の出したものを見れば良い。光秀の裏切りにあって本能寺で敵に囲まれ、もうこれまでとなった信長が、火の手を逃れて歩いた本能寺の廊下の先で、輝く不思議な扉を開けたら、そこには現代のレストランがあった。

 そうとは知らない信長は、ここはどこだと驚き訝りつつも、電気が通って昼間のように明るい室内と、正確に時を刻む時計を見て、本能寺とは違う場所だと理解した。どうやら飯を食わせる場所らしい。そう聞いて信長は「空前にして絶後の料理を持って参れ」と言って、妻や部下たちと共に席につく。

 もっとも、レストランの側からすれ、ばいきなり入ってきた甲冑姿の奇妙な男たちや女たち。いったい何者だと聞くと、当然のように信長だと答えたけれど、シェフはそれを本当だとは信じられない。映画のロケか何かかと思いながらも、血刀持った武士の迫力を恐れ、何かを作ろうとしてそして一考を案じ、出したメニューで信長の希望を大いに満たす。

 根がおおらかな信長のこと、精いっぱいに努力したものなら何だって美味いと言っただろう。それでも精いっぱいに頑張ったシェフの、底は浅いけれども相手を思った対応にはいたく感心した様子。愛刀の備前長船を置き、燃えさかる本能寺へと戻っていく。そこで待ち受けていた本当の死に向かって、信長は果たして満足だったか否か。

 死に際に与えられたちょっとの猶予で、自分が何をしてきたかを振り返り、自分を裏切った光秀の心情を思い、そして配下の者たちを思って逝ける信長の度量の大きさが、しっかりと描かれているのが面白い。対してシェフはいつもあせりまくり。うまくいかない店をどうにかしよう迷っては、なかなかうまく軌道に乗せられないでいる。そんな偉人と凡人との彼我の差異から、偉人の偉人っぷりを楽しむ漫画でもありそうだ。

 この後にはあのマリー・アントワネットが出てきて、断頭台へと登る直前の料理を食べ、、ユリウス・カエサルが出てきて、ブルータスに裏切られて切られる寸前の料理を食べ、そして坂本龍馬が襲われ斬られる手前の料理を食らう。いずれも戻れば待つのは死。それでも逃げないでしっかりと元いた世界に戻っていくのも、諦観を得た偉人ならではか。

 いや、龍馬はちょっぴり慌てていたけれど、現代にちゃんとデモクラシーが行き渡っているのを見て感動して戻っていった。未来を思い描く者にとって、その思いがかなっていることが、故郷を思わせるフルーツトマトの味よりも満足だったということとなのか。問題はだからジャンヌ・ダルク。若い娘でも戻れば待つのは火あぶりの運命。それでも果たして帰すのか。帰ってしまうのか。そんなあたりも気にして読もう。


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