裁きの門


 SFマガジンの94年10月号で、「ダーティーペアFLASH」を開始するにあたって、作者の高千穂遥さんが、「対照的な性格の女の子ふたりがチームを組み、むちゃくちゃに暴れ回る−そういう設定そのものがダーティーペアなのである」と書いている。この高千穂さんの定義にあてはめるとしたら、マーセデス・ラッキーの「女神の誓い」(創元推理文庫、830円)と、その続編にあたる「裁きの門」(同、750円)は、まさしく「ダーティーペア・コンセプト」にのっとったファンタジー作品であると、私は勝手に思っている。

 主人公は2人の女性。1人は一族を虐殺されたことへの復讐のため、女戦士となったタルマ。もう1人は、貴族階級の出身ながら、事情があって出奔し、修行の果てに女魔法使いとなったケスリー。ふとしたきっかけで出会った2人が、それぞれに抱えた復讐を果たすため、義兄弟(義姉妹?)の絆を結ぶ。

 「女神の誓い」に収められた短編「剣の誓い」で、タルマは一族の仇を見事討ち、表題作の長編「女神の誓い」の冒頭で、ケスリーも過去に決着を付けて、2人はタルマの、そして同時にケスリーの一族を再興する資金を稼ぐために、傭兵稼業へと身を転じたところから、2人の長い旅が始まった。

 「女神の誓い」では、そんな主人公たちが、盗賊団の親玉をやっつけるたり、最大の敵ともいえる魔物を倒したりしながら、傭兵としての名前を高めていく過程が語られている。もっとも様々な困難や危険に出会う割には、吟遊詩人の流す噂のせいで、稼ぎが少ないの彼女たちの悩み。そこで続編の「裁きの門」で、2人は名高い傭兵組織「太陽の鷹」に入って、働くことになった。

 もとより実力のある2人のこと。すぐにそれぞれの実力に応じた地位を得る。ある日、「太陽の鷹」の女隊長が、自分の故郷に帰って用事を果たさなくてはならなくなった。留守をあずかるタルマとケスリーだったが、いつまで経っても女隊長は帰ってこない。消息を確かめるために、女隊長の故郷へと潜入する2人を待ち受けていたのは、王家の継承をめぐる兄弟の骨肉の争いだった。

 「女神の誓い」から「裁きの門」へと至るあらすじをざっと振り返ってみて、女剣士と女魔法使いを主人公に据えたこれらの物語を、不思議なくらいに違和感なく読めたことに、今さらながら気が付いた。

 「裁きの門」の解説で、中村融さんが「アマゾン・ファンタジー」と命名した、女性を主人公にしたファンタジー作品の一群を紹介している。「フェミニズムの影響で、自立した女性を主人公とした女性の手によるファンタジーが続々と書かれるようになる」(中村融)。そしてタニス・リー、リン・アビイ、フィリス・アン・カーらの名前と作品名を挙げている。

 しかし、こうした「アマゾン・ファンタジー」の歴史的背景を知り、こうした作品群を意識する以前に、活字やテレビや映画で活躍していた「ユリとケイ」の姿が、「タルマとケスリー」の姿に重なってしまう。そして「ダーティーペア・コンセプト」を持った作品として、「女神の誓い」と「裁きの門」を、違和感なく受け入れてしまうのだ。

 こうした読み方は、もしかしたらSFやファンタジーの歴史を、社会的状況の変遷を織りまぜながら読み解こうとする人たちからみれば、はなはだ短絡的で邪道なものかもしれないが、ムツカシイことを考えずに、「ダーティーペアみたくカッコいい女の子が大暴れすんだよね」と説明すれば、たいていの人ならその面白さを解ってもらえるだろう。

 話は戻って、「女神の誓い」と「裁きの門」は、マーセデス・ラッキーの描く「ヴァルデマール年代記」という、長大で広範なシリーズのほんの1部に過ぎず、向こう2400年に及ぶ年代記の全貌は、まだまだ書き継がれている最中だという。タルマとケスリーの物語は、とりあえずこの2作で終わりとなってしまうのだが、未だ見ぬ壮大な物語への開口部として、存分にその役割を果たしていると思う。なにせシリーズ物のファンタジーを、妙に毛嫌いしていた1人の男を、有無をいわせずにその世界へと引っぱり込んだんだからね。


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