レベリオン放課後の殺戮者
Rebelion 〜The Highschool Renegade〜

 望むと望まざるとに関わらず、人ならざる存在へと変わってしまった、あるいは変えられてしまった時に人はどんな感情を持つのだろうか。自分より劣った者を支配したいという欲望が芽生えそうな気がするし、劣った者たちから畏れられ差別されることで、激しい孤独感、疎外感、哀しみを味わいそうな気もする。

 長く本を読んでいれば過去に幾らも目にしたことがあって、言うなれば繰り返し語られるくらいに人間の中に進化への願望があってかつ、被差別への恐怖があるってことなんだろうけれど、同様に繰り返し考えられるくらいに答えの出せない難しい問題でもあるってことで、そういう意味では三雲岳斗の新刊「レベリオン」(電撃文庫、620円)の登場を、一概に「またか」と投げることは出来ない。

 ある夜、道の上に血塗れで転がっていたた少女を助けようとして事件に巻き込まれ、緋村恭介は瀕死の重傷を負ってしまった。しかし不思議なことに、翌日にはケロリと傷1つない姿となって病院のベッドで目覚め、たぶん夢だったのだろうと安心して登校したら、その日に学校に転校して来た少女・秋篠香澄の顔が、事故のあった夜に出逢った少女と同じで、さらには再び襲いかかって来た敵に対し、超人的な能力を発揮して戦う姿を恭介に見せつける。おまけに恭介にも同じ力があるんだと言い、逆らうようなら殺すと冷ややかに告げる。

 科学的な説明の真偽はちょっと判定不能だだ、何でもウイルスがDNAを組み替えて云々とかで、そのお陰でDNAに眠っている動物的な能力が発揮されるらしい。力の発現の仕方は様々で、果てしないパワーを発揮するのもあれば、アニマルボイスよろしく声を操る者、水を操る者など様々なタイプがいる。内に眠る力が様々な形で発現するのは、「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドにも似ている。あるいは上遠野浩平の「ブギーポップ・シリーズ」の「エンブリオ炎生」「覚醒」にも。


 犯人探しのミステリー的な要素もからめつつ、本当は誰がプロ・レベリオンなのか疑心暗鬼になりながら進んでいく物語の中で浮かび上がって来るのは、優れた人類を生み出そうとする勢力と、そんな力を独り占めにするのはずるいと訴える勢力との戦いだったりもして、合間には体に悪いとは分かっていても薬を求める人間の欲望のおぞましさとか、死ねない体に対する普通の人間ならどうしても抱いてしまう嫉妬心とかいったテーマが挟まれる。

 超人的な力を使う矛先が、「もっと僕を見て」といったような狭く小さなものだったりするあたりに、人間の卑俗だけれども捨てきれない我欲の哀しい様が浮かび上がって、ミーイズムな今の世の中を現しているようにも感じる。世界よりも社会よりも身の回りが大事なように映る、10代の子供たちが主人公だからなのかもしれなが、地位や名誉といったつまらない意地で動く大人だって十分に醜いもので、むしろ人間の純粋性が現れていると言えないこともない。

 新しいテーマと舞台の提示することによって、読む人に新鮮な驚きを与えてくれるという点では、前述したように手慣れた本読みには聞き覚えのある設定だったりもする。が、インタビューで著者は「小中高の人にSFにステップアップしてもらう通過点になれば」といった具合に、戦略的、意識的に自分の作品を書いていことを表明した。分かりやすすぎる物語も、ここを起点に幅広く奥深く、平等であっても不平等であってももたらされる揺れについて考え、よりよい未来について考えるなり人間は所詮愚かなんだと考えさせられる物語へとたどり着く、入り口としての機能を果たしてくれれば良しとしよう。

 予定は次巻行こうもあるようで、深く広いテーマ性の中で打ち出された人間の卑小だけれども切実な心を描いた物語が、人間からの羨望嫉妬といった感情渦巻くなかでの、超人ゆえに抱く哀しみといった部分へとどう及んでいくのかに興味がある。ともに理解し合い、共存し合える世界の構築の果たして指針となるのか、それとも過去に類例のあるエスカレートし続けるバトルの泥沼へとはまってしまうのか。期して待ちたい。


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