レインツリーの国

 こんな実例がある。目が不自由な人のために、本を読んでくれるボランティアがいて、どんな本でも読んであげますよと言ってくれている。だからといって、例えばエロティックな内容を持った小説を読んで欲しいとは頼めない。秘密は守るからとボランティアが言ってくれても、頼めるだけの気丈さを持ち合わせている人は少ない。

 だから目の不自由な人は、テキストデータを自動的に読んでくれるパソコンを求め、そこに流し込まれるデータを求めている。もっともコピーされることを恐れて、出版社はなかなかデータをテキスト化したり、読み上げ可能な状態にしてくれない。決して聖人君子ではない、同じ人間として目の見える人と同じ情報を求めたくても、目が見えないということに加えての壁、ハンディキャップを負う者に対する偏った視線という壁がそこに立っている。

 「図書館戦争」(メディアワークス、1600円)が「本の雑誌」の2006年上半期ベスト1を獲得した有川浩。行き過ぎた表現を取り締まる政府機関と、表現の自由を守ろうとする図書館との争いが“戦争”にまで発展してしまった近未来の描写が、メディアへの締め付けが厳しくなる最近の状況を映していると話題を呼んだ。

 続編の「図書館内乱」(メディアワークス、1600円)も刊行された。派手なバトルが繰り広げられた前作からは一変して、諜報と謀略の物語になったこの続編には、「レインツリーの国」という架空の本が登場する。有川浩の「レインツリーの国」(新潮社、1200円)は、何と「図書館内乱」に登場する架空の物語を、作者本人が書いて刊行してしまったという、異色の成り立ちを持つ本だ。

 「図書館内乱」のなかで「レインツリーの国」という本は、図書館を守る図書隊員の1人が、近所に住んでいて仲の良い耳の不自由な少女に薦めた1冊として登場する。ところがこれが問題を引き起こす。

 「レインツリーの国」は難聴の女の子が主人公の物語。これを難聴の少女に勧めるのは、虐待にあたるのではと少女の同級生たちがお節介を焼き非難の声を上げた。聞きつけた図書隊と対立する組織にによって図書隊員が糾弾される事態となった。

 けれども「レインツリーの国」は、決して虐待の物語なんかではない。主人公は会社勤めの向坂伸行という男性。その彼がネットで知り合ったひとみという女性は、高校の頃に遭った事故で耳がよく聞こえなかった。

 そうとは知らずに誘った最初のデートで、伸行はひとみが難聴故に引き起こした、エレベーターの重量オーバーを告げるブザーが聞こえずそこに止まり続けてしまった行動をなじってしまう。髪の隙間から見えた補聴器からひとみが難聴だと知り、自責の年に苛まれる。

 それでも伸行のひとみが好きだという想いは揺らがない。賢明に彼女の支えになろうとする。ところがこれがまたしてもひとみを傷つけてしまう。雑踏を2人で歩いていた時、聞こえないのを知らず邪魔だと後ろからひとみを突き飛ばした若者に向かって、ひとみは難聴者なんだから労れと、公衆の面前で注意する。

 心からの正義感から出た伸行のそんな振る舞いは、ひとみに感謝されるどころか、自分の難聴を隠そうとして髪を伸ばし、人の口の動きを読んで何を話しているのかを掴もうと頑張っているひとみの気持ちに、かえって負担をかけてしまう。

 良かれと思ってしたことでも、当人にとっては迷惑かもしれない可能性。長い苦しみから頑なになってしまった気持ちが、本当は嬉しい親切を素直に受け入れられないもどかしさ。人が人の間で暮らしているあらゆる場面で起こり得るすれ違いを、どうやって乗り越えていけば良いのだろうか。「レインツリーの国」は、そんな道を可能性を声高ではなくそっと示唆してくれる。

 戸惑いながら、迷いながらも近づき手探りで相手を理解しあおうとする伸行とひとみ。その関係が、労っているようでその実どこかに優越感を潜ませた振る舞いではなく、また見下ろさているんだと自らを追い込み、それは堪らないと拒絶し続ける振る舞いでもない、互いを互いに認めぶつけ合い理解しようとすることの意義を感じさせる。

 この「レインツリーの国」が、1冊の単行本として刊行されるに止まらず、善と信じ込んだ己が目的を、ひたすらに達成しようとする人たちの、冷徹で浅ましい様が描かれた「図書館内乱」の中に織り込まれたことも大きな意味を持っている。「レインツリーの国」に感動した人は、表現の自由の大切さという強いメッセージに加え、独善を廃し世界を認める重要さに気づかせてくれる「図書館内乱」も併せて読もう。


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