南極点のピアピア動画

 キャラクターが動かす。キャラクターのために動く。そんな意識の醸成、そんな状況の現出から、世界は変わっていけるのかもしれないと、野尻抱介による「南極点のピアピア動画」(ハヤカワ文庫JA、620円)を読んで強く思わされる。

 タイトルにも使われているように、収められた4つの連作となった短編は、ピアピア動画という、動画を見たり見せたりするネット上のプラットフォームに、大きな役割を担わせている。各々が持つ知を乗せて見せ合い、取り入れ合って高め合う、正のスパイラルによって育まれた諸々が、宇宙に届く手段を生みだし、鯨とのコミュニケーションを成り立たせ、宇宙の彼方へと人類の目を向けさせる。

 誰も対価を求めない。むしろ自腹を切ってまで、コミュニティに協力しようとさえする、ピアピア動画の礼賛者たち。月に彗星が激突したことで生まれた、双極ジェットに乗ってカップルが宇宙へと出たいと願い出れば、大学にある倉庫に持ち込んだ工作機械を使い、全国各地に似たような工場を造って、必要な装置を作ってみせる。真空でも死なず放射線にも強いクモが見つかれば、それが宇宙環境に適応できるかを、みなで調べてみる。

 停滞どころか中止の可能性すらあった、クジラとのコミュニケーションを行うプロジェクトが、廃艦の憂き目を食らう寸前にあった自衛隊の潜水艦の払い下げも含め、復活してしまった裏側にも、ピアピア動画を通したプロジェクトへの関心の誘因があった。ただし。コミュニケーションの手段としてのみ、ピアピア動画が使われていたとしたら、これらの多くは形にならず、頓挫していただろう。他に何が動機となる存在があったのか。あったのだ。

 小隅レイ。コンピュータを使って人工的に歌声を作り出すボーカロイドソフトの上に、サンプルとなる音声を加えて作り出されたソフトウエアを総称するキャラクターとして、世に生まれて圧倒的な支持を集め、“彼女”を使ってたくさんの楽曲が作られ、世に広まった。その拡散の原動力になったのもピアピア動画。作った歌を、曲を聴かせるツールとして使われ、キャラクターが踊る映像もそこに乗せられるようになり、結果、立派な1体のアイドルとして、世界に知られるようになった。

 小隅レイがいるから、私たちは参加する。そんな、現実に存在しないアイドルにのめり込む態度は、かつてなら薄気味悪がられただろう。現実から目を背けて架空の世界に逃げるのようなものだったら、そう思われる可能性も小さくはなかった。けれども、テクノロジーとコミュニケーションによって生まれた、新しい時代のアイドルという“状況”を、理解した上で尊び愛でる心理を介し、架空のアイドルに夢中な自分の振る舞いを客観的に俯瞰する気持ちで、多くの人は小隅レイの存在を捉えていた。

 だから彼女は生き延びた。数多のリアルなアイドルのように、軽佻浮薄な関心の対象として消費されることはなかった。永遠のアイドルとして社会に定着するようになった、その結果、何かしたいという気持ちを前向きにさせるフックとして、小隅レイの存在が半ば“利用”され、半ば“本気”で愛でられるようになった。

 キャラクタードリブン。「南極点のピアピア動画」で繰り広げられるおよそすべての行為の根底にある、重要にして最大の動機。これを認識し得ないと、どうしていい歳をした男たちが、時に無償で、あるいは危険を冒してまで何かをやろうとするのかが分からないから注意したい。

 その上で、ピアピア動画という知を集結させるプラットフォームの存在と、小隅レイという人心を集めるキャラクターの存在が、生みだしていくものの凄まじさに驚くのが、「南極点のピアピア動画」の楽しみ方だ。離ればなれになってしまった恋人たちを再び結びつけ、双極ジェットに乗せて宇宙へと送り出したり。コンビニエンスストアの入店サウンドにアイドルの曲を使うようにして全国的なヒットに仕立て上げたり。

 そんなコンビニエンスストアで見つかった不思議なクモを、宇宙へと送り出した挙げ句にとんでもないものを作らせたり。クジラとのコミュニケーションを成り立たせ、そのクジラからとんでもない存在を示唆され、人類にとっての大きな一歩を踏み出させたり。ハード系のSF作家として野尻抱介がめぐらせた、人類にもたらされるだろう様々なものの可能性が、描写されて心を刺激する。SFの想像力をふんだんに味わえる連作たちだ。

 物語に描かれた、魅力的なガジェットやオブジェクトやビジョンを、人類が手に入れるために大きな力を発揮した、ピアピア動画に類するプラットフォームなら既にある。小隅レイに近いバーチャルアイドルも、既にあって日本を飛び越え世界へと広まりつつある。あとは技術。そして理解。誰もが集い知恵を出し合い可能性を高め行った果てに、巻末で示されるような宇宙へと広がるコミュニケーションのネットワークを、人類は得られるのかもしれない。

 残るは月へと彗星が落ち、海底に“それ”がいることだけだが、こればかりはどうにも。それとも宇宙のどこかで、既にピアピア動画ならぬニコニコ動画をチェックをし、初音ミクに夢中になっている存在がいる? だったらあとは願いを映像にして、歌を重ねてアップするだけだ。月に彗星をぶつけ、海底に“それ”を送り込んでと歌う声よ、届け銀河に、その向こうに。


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