Penguin Summer
ペンギン・サマー

 原因があるから結果がある。因果の関係は流れる時間での絶対の掟。時間が一方向にしか流れない以上、因は必ず過去にあって、そして現在の果となりそれが未来への因となって、歴史の上にさまざまなできごとを重ねていく。

 けれども。もしも時間が一方向だけに流れていなかったら。さらにいうなら過去へと戻ることができたとしたら。果として見える現実は実は因でもあって、過去を変え今につながっているということも起こり得る。

 だからもしも。因となった現在が過去で果を招かなかったら、それが因となった果としての現在は起こり得ず、したがって因となって過去の果も起こさない、という矛盾が生まれる。タイムパラドックス。時間を扱う物語を描く上で、誰もが気にする部分だろう。

 逆にいえば、だからこそ過去に遡る物語は面白い。何が因となって果を生み、それがどのように因へとつながっていくのかといった流れなり、その関係に矛盾はないのかといった条件が、もつれ合い絡み合っている様を解きほぐし、並べて整合性がとれているのかを確かめる楽しみがあるからだ。

 「タマラセ」や「レンズと悪魔」といった角川スニーカー文庫でのシリーズ物で知られる六塚光が、単独で発表した初めての本「ペンギン・サマー」(一迅社文庫、590円)も、そんな楽しみを与えてくれる物語だ。まるでルービックキューブに知恵の輪に、クロスワードにジグソーといった種類の異なるパズルが、1つの器に入って混ざり合い、組み合わさったような構成にもなっていて、1つを解き、それを並べ直して浮かぶ絵に驚く楽しみもある。

 舞台となっている場所は白首市という地方都市。人口10万人ほどの町には高さ500メートルほどの白首山があって、鬱蒼とした森とともにさまざまな逸話を今に残している。その中でも有名なものが「クビナシ様」の伝説。鎌倉末期にクビナシという英雄が少年とともに現れて、村人を脅かす白髪鬼と呼ばれる山賊を退治し、閉じこめられていた美しい女性たちを開放したという。

 そして舞台となっている時代は現代。クビナシ様捜索ツアーに行こうと、相馬あかりという名の少女が、幼なじみの東田隆司という少年をしきりに誘いかけているところから物語の幕が開く。

 クラスメイトとして以前から良く知っていたあかりだったが、隆司の目にはどこか違和感があった。見ると真っ黒だった髪の色がすっかり茶色になっている。もっとも隆司は女性に流行の茶髪化だと思い気には留めず、前に誘われた時には断った手前もあって、あかりの誘いを今度は引き受け、白首山へと入って行った。

 そしてその際。隆司はあかりが、妙に山の道に詳しいことに違和感を抱き、またあかりが既に知った道のように踏みいった先で発掘した銀色の固形物が入った箱を握り、胸に抱きかかえてしばらく動かないでいた様子に驚きを覚える。違和感ではなく、驚きを。

 なぜか。あかりが抱えている銀色の固形物に見覚えがあったからだ。物語は後の章で時間がやや遡って、隆司が謎めいた存在と出会う場面が描かれる。それは1匹のペンギン。なおかつ言葉を喋るペンギン。聞くと赤面党なる謎の組織につかまり、改造され知能を持たされ戦闘怪人にされるところを、洗脳の直前に逃げ出して来たらしい。

 そんなペンギンが動力源にしていたのが銀色の立方体。取り換えてやった経験から少年は、後に少女が山で発見した機械が、喋るペンギンの動力源と同じものではないかと感じ取る。

 白首市に何かが起こっている。あるいは起こっていた。それに少女も関わっている。もしくは関わっていた。

 章が進むたびに、その実態が明らかにされ、あかりが巻き込まれた冒険の様子が描かれていき、クビナシ様の伝説がどうして生まれたのかも、あかりの髪がどうして茶色くなっていかも、山で掘り出した銀色の装置にあかりがどうして神妙な表情を見せたのかも、どうして山の地理に詳しかったのかも、白髪鬼がどうして白髪鬼だったのかも、その白髪鬼が解放した女性たちが何者だったのかも、すべてに理由が語られ、決着がつけられる。

 果が実は因であって、それが果となり因につながる。主観として一方向に流れる時間が、全体の中では過去へと戻り現在へと戻り、未来へと向かうループをはらんで、1本のストーリーを形づくる。読み終えた時に心に残る謎はなく、そして今へとつながる過去を作った者たちが見せた頑張りに対する喝采の気持ちが浮かび、そんな物語を生みだした作者への感嘆の気持ちがあふれ出る。

 帯は大森望。ジョン・クロウリーの著作「エンジン・サマー」の翻訳者であるといった点以外のつながりはないものの、語っているコメント「バカだけど、意外とロジカル。こんな××SFが読みたかった。いやマジで」はまさしく物語の本質を指し示している。

 大げさでもなく紛らわしくもない真実のコメント。真に受けて手に取った人たちは、決して裏切られることはなく、無茶に見えて実は真摯に形づくられた設定の上で綿密に紡ぎあげられた、哀愁を誘い落涙を呼ぶ一夏のリリカルでロマンティックなストーリーを楽しめるだろう。


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