PASSAGE
航路

 人は死ぬ。絶対に死ぬ。お金持ちでも貧乏人でもハンサムガイでもブサイクでも、誰ひとりとして死なずに済ませることはできない。あまねくすべての人の前に死はおとずれ、現世での暮らしからその肉体を奪う。死から逃れることはできない。

 現世だって? だったら来世があるというのかい? 肉体を奪う? つまり魂は残るということなの? それに対する答えもまた、唯一にして絶対のものが用意されている。来世なんてないし、魂なんてものも存在しない。人は死ぬ。死んだらその人にとってのすべてが終わる。終わってしまう。

 だからといって人は自分の生を、そして死を無意味なものだと嘆く必要なんてない。現世の功徳が来世につながらないと諦める必要はない。主観的にはひとりの人の生から死まですべてはひとり個人のものでしかない。けれども客観的には生も死もひとり個人のものにとどまらない。人はおおぜいの人たちの生と死からさまざな影響を受けて己を育む。そして自らの生と死によっておおぜいの人たちに影響を与える。

 人は生きる。人は死ぬ。それには意義がある。世界にとっての客観的な意義があり、めぐりめぐって自分にとっての主観的な意義へとつながるのだということを、コニー・ウィリスの「航路」(大森望訳、ソニー・マガジンズ、上下各1800円)が語りかける。

 ジョアンナ・ランダーは認知心理学者。臨死体験をした人にインタビューして、今際の時に何を見たのかを調べ、死の瞬間までの人間の脳や心の働きを調べようとしている。来世とか、天国とかいったものを信じている訳では決してない。むしろ唾棄していて、臨死体験から死後の世界を”捏造”しては本にして、死を信じたくない人の間に”妄言”を広めている作家のマンドレイクを嫌っている。

 そんな彼女が仕事で組むことにになったのが、若くてハンサムな神経内科医のリチャード・ライト。彼も来世や天国をまるで信じておらず、臨死体験は死に直面した脳が肉体を賦活させようとした際に見せるビジョンだと考えていて、その節を裏付けるための実験をジョアンナと一緒にスタートさせる。

 新開発の薬品、ジテタミンを投与された人間は死に臨んだ時とまったく同じ状態に陥る。実験ではライトが臨死状態にある被験者の脳の生科学的変化を画像として見る機器を使ってモニターし、ジョアンナが被験者から臨死体験中の様子をインタビューしようとする。ところがマンドレイクのスパイが候補者に紛れ込んでいたり、第二次世界大戦中の経験をただ聞いてもらいたいという老人がいたりして、これという被験者が集まらない。

 どうにか見つけた適格者も、ハンサムなライト目当ての思惑が外れたからか、それとも別の理由かで実験を降りてしまう。切羽詰まった挙げ句、チームの片割れのジョアンナが自ら被験者となって臨死体験をすることに。ベッドに横たわってジテタミンの投与を受けたジョアンナは、自分が暗いトンネルにいることを知り、やがてとてつもない場所に来ていることに気づく。

 次から次へと事件が起きては新しいことが発見され、いよいよ核心かと思ったらさらに別の難題が持ち上がり、先へ先へとページをめくらせていくエンターテインメントにとって必然であり、また究極ともいえるテクが満載されていて読む手を止めさせない。ジョアンナが臨死体験で見た光景の原点を追い求め、思考し行動を始めるあたりからミステリー風の謎解きの楽しみも高まって、後は垂直落下のジェットコースター、気が付くと最後まで一気に連れて行かれている。

 ジョアンナとライトの死後の世界を信じない2人に、マンドレイクとマンドレイクを信奉する女性という死語の世界を信奉する2人という、対立する立場のキャラクターを造型することで物語に緊張感を持たせている。心臓に病があっていつ死ぬかも分からない状態の中、ヒンデンブルクやポンペイやルシタニア号といった事故・災害の歴史に強い感心を寄せる少女がいて、古今の書物に通じながらも、その全てをアルツハイマーのせいで忘れていっている老教師がいて、いずれ来る死の匂いを嗅がせては読み手の気持を不安にさせる。

 そして知る驚きの事実。そしてもたらされる衝撃の展開。絶対的な結論として提示される、心に安心をもたらすものとは言い切れない厳しいシチュエーションに、ひとりの個人として怯えを感じ恐ろしさを覚える。だからといって絶望の淵には沈まない。むしろ希望すら抱く。人は生きる。人は死ぬ。主観的にはそれで終わる。けれども客観的には終わらない。人が生き、人が死んだ記憶は残る。経験は伝えられる。そう教えられ、怯えや恐ろしさを乗り越える勇気が湧いてくる。

 死の向こう側に光の国はあるのかもしれない。永遠の無でしかないのかもしれない。けれどももはやどちらでも構わない。どちらであっても関係ない。精一杯に生きよう。そして精一杯に死のうと、「航路」を読み終えた今、強く想う。


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