お屋敷とコッペリア

 人と人形との違いを答えよ。それは簡単。人は生きていて息をして、食べて喋り動いて眠る。怒り泣いて笑って喜び、そしてなにより恋をする。人形は喋らないし動かない。もちろん恋もしない。まるで違う。比べる方がおろかだ。

 だったら人と自動人形との違いは。これは難しい。自動人形は食べるし喋るし、動くし眠る。あるいは、そんなことをしているふりをする。ちょっと見分けがつかない。けれども作った人には違いが分かる。人間と自動人形との間に横たわる、絶対的な違いをしっかりと見抜く。

 「成生術」という、人工的に生命体を創り出す研究している貴族の青年、コッペリウスが、病弱な妹のスワルニダを治療するために必要な存在として、妹にそっくりの自動人形を作った。それがコッペリア。けれどもコッペリウスは、生まれたばかりのコッペリアを調べて、失敗作だったと決めつける。

 心臓の弱いスワルニダに必要なのは、強く鼓動する心臓だった。けれども自動人形のコッペリアの心臓は鼓動していなかった。これではスワルニダの治療には使えないと、コッペリウスは投げ出した。研究室を追い出されたコッペリアは、コッペリウスに食事を運ぶ仕事だけを与えられ、お屋敷の中に居場所を見つけようとする。

 その機能を持ちながら、なぜか言葉をしゃべれなかったコッペリア。とはいえ、見た目は人間そっくりで、優秀そうだったことから、何とか使えないものかと、お屋敷につかえるメイドのリーダー、家政婦で子守メイドのリーズによって引っ張り回され、お屋敷のいろいろな場所で料理や洗濯や飼育といった仕事を割り当てられようとする。

 もっとも、掃除以外は何をやらせてもダメだったコッペリア。いわれたとおりに廊下に立ち、食事を運ぶ仕事だけをこなそうとしていた。感情もなく表情にも乏しいコッペリアは、まさしく単なる自動人形に見えた。人間のようで人間とは絶対的に違う存在。そう見なされた。

 ところが、そんなコッペリアに、何かをしたいという思いのようなものがだんだんと芽ばえていく。勝手に部屋を掃除しては、疑われ真実を明かして喜ばれる。リーズをはじめ同僚のメイドとも交流を重ね、自分にそっくりだという理由もあって、最初はコッペリアを嫌っていた病弱な妹のスワルニダも、ある事件をきっかけにコッペリアと仲良くなっていく。

 まだ意地悪だったスワルニダによって、行けと向かわされた真冬の森で、巣から落ちて死にかけていた狐を見つけたコッペリアは、命が抜けかけているからもう無理だと、周囲が諦めさせようとするなかで、「なおしてください!」と初めて声に出して叫んだ。何かをしたいという思い、それを伝えたいという意志が、コッペリアに言葉というコミュニケーションの手段をもたらした。

 その後、メイドたちと旅行に行った先で、コッペリアは夢を見て希望を抱き、未来を開いて願いをかなえようとする気持ちの大切さを知る。スワルニダが文通していた少年の訪問を受けて、胸の奥でうごめく心というものにも、だんだんと目覚めていく。もっとも、自動人形だったはずのコッペリアが人間に近づくにつれ、スワルニダの病気は重さを増していく。

 やがて来る展開は、お屋敷でもちょっとだけ変わったメイドのロロアが関わって、いささか不穏な結末を見せようとする。それでも、訪れるエンディングが閉ざされようとしていた未来への扉を開いて、喜びと温もりをもたらす。

 テレビアニメーションの「涼宮ハルヒの憂鬱」や「けいおん!」を作って、広く世に知られたアニメーション制作会社の京都アニメーションが募集した、第1回京アニ大賞の奨励賞を受賞した一之瀬六樹の「お屋敷とコッペリア」(KAエスマ文庫、648円)。そこには、人間に憧れた自動人形の成長の軌跡、そしてもたらされる生命の奇跡が綴られる。

 人間に作られた存在でしかない自動人形に、何かを言いたいという気持ちがもたらす言葉の意味、不可能を可能に変える夢を抱く意味など、人間に必要な事柄を重ねて成長させていく展開が、翻って人間という存在の豊かさを示す。「お屋敷とコッペリア」は、人とは何かを問うSF的であり、人間そのものについて問う哲学的な物語だ。

 販路が一般的な書籍とは違い、手に取る機会はなかなかないが、通信販売もしている本なので、取り寄せてでも読む価値はある。お試しあれ。


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