王都妖奇譚


 憑かれてしまったようだ。

 いつもの自分だったら「疲れたんならアリナミンでも飲めば」なんて混ぜっ返してみるものだが、憑かれたものがものだけに、とても駄洒落なんていっていられない。なにせ憑かれた相手というのが、稀代の陰陽師、安倍晴明なのだから。

 きっかけを探れば、荒俣宏の「帝都物語」あたりまでは遡れるかもしれないが、最近になって急激に憑かれ具合が増したのは、この分野の代表作といっていい、夢枕獏原作、岡野玲子画の漫画「陰陽師」が原因になっている。超然としてつかみ所のない晴明と、好漢ながらどこか間が抜けている源博雅とのコンビが、京を舞台に繰り広げる妖(あやかし)退治の物語に、剣と魔法の西洋ファンタジーにはない粋(すい)を感じて、晴明というキャラクターにすっかり虜になってしまった。

 学究肌の人間なら、そこで荒俣先生や小松和彦先生の著書のような研究書にあたるか、晴明が登場する日本の古典に向かうとかするものだが、とにかく楽することばっかり考えている怠惰な人間は、寝転がってだらだらと読める漫画とか小説へと向かってしまう。

 で、読んだのが加門七海の「晴明。」と、その続編に当たる「鬼哭。−続・晴明。−」(ともにソノラマ文庫)。疎まれながらも生来の力で周囲を圧倒していく若き晴明を描いた前者と、成長し、京を護る陰陽師として畏怖されながらも、神とも魔ともつかない己の存在に悩み苦しむ晴明を描いた後者からは、強いだけでは受け入れられず、正しいだけでは認められないことへの怒りや悲しみが伝わってきた。

 ほどなくして、平井摩利という人が描いた漫画「火宵の月」(白泉社、400円)の第2卷が店頭に並ぶ。裏の惹句で陰陽師が登場する話と知って、見あたらなかった第1卷を探してあちらこちらの漫画専門店を回っている時に、平台に「王都妖奇譚」という漫画が並べられているのを発見した。とりあえず「火宵の月」の第1卷を、第2卷とまとめて買って帰ったが、タイトルにあった「王都」という単語と、平安貴族のような服装をした男が描かれた表紙絵が気になって仕方がなく、再び漫画専門店を訪れた時に、手にとり、裏をひっくり返して惹句を読み、即座に「買うべし」と思った。

 「平安時代−。闇に蠢く魔物どもと死闘をくりひろげた天才陰陽師・安倍晴明を描く超伝奇ロマン!!」とあっては、とても読まずにはおかれない。まず3卷までを買い、翌日には書店に走って最新刊の9卷を含む6卷分を買って、夜通し読み通してしまった。おかけで翌日は寝不足でフラフラ。おまけに湯冷めで体調を崩してまい、今なおビールが美味しく飲めない。憑かれてしまった反動は、やはり大きかった。

 「王都妖奇譚」(プリンセス・コミックス、各390円)は、著者である岩崎陽子の初めての単行本である。昔の日本を舞台にした伝奇ロマンというジャンルが、少女漫画の世界でどれくらい人気があるのかはよく知らないが、現在第9卷まで刊行されている事実1つからも、この漫画の人気の程が解る。そして、実際に中身に目を通せば、人気が単なる美形キャラへのアイドル的人気ではなく、骨格のしっかりした絵と、盛り上げたり笑わせたりするツボを心得たストーリー展開で、ファンをつかんで離さないのだということに気付く。

 幾つもの「晴明本」と同様、「王都妖奇譚」でも晴明は、圧倒的な力を持った陰陽師として描かれている。パートナーとなるのは右大臣の息子で弓の名人、藤原将之。姉を怨霊にさらわれた将之が、自分に向かって「死相がでている」といった晴明とともに、姉を救いに向かうエピソードが第1卷の第1話だが、そこでの晴明は、未来を的確に見通す力をもちながら、的確すぎる故に悲劇的な未来をかえられないことに悩む、孤高の存在だった。しかし、忠告も聞かずに突っ走る将之の一直線な性格に、己にはないものを感じたのだろうか、幾多の危険から救い救われるうちに、二人の間には運命的ともいえる友情が育まれていく。

 知的でいつも冷静な晴明と、熱血漢の将之の組み合わせは、源博雅とのやりとりで話が進む夢枕・岡野版の「陰陽師」とも通じる部分がある。だが繊細かつ流麗な線で、妖しい平安京の街を描く岡野とは異なり、岩崎は少年漫画のような力強い線で、悪鬼と戦う晴明と、その友将之の活躍を描き出している。次々と繰り出される妖術や、晴明の兄弟子ながら、恨みを晴らすために魔物となって晴明に絡む橘影連との死闘の数々は、伝奇ロマンと名乗るに相応しい。

 加門の「鬼哭。」では、晴明は己に潜む神と魔との葛藤に苦しみ、その間を揺れ動く。岩崎の「王都妖奇譚」は、陰陽師という存在が持つ暗黒面を、影連という存在に凝縮させることで、善と悪という二神論的な対立を、二人の闘いによって描くことができる。前者のような手法は、心理描写を文字によって幾らでもかき込むことの出来る小説ならではといえるが、漫画という表現方法では、二人の美しい男たちが、善と悪に別れて、渾身の力をこめて闘う姿はやはり「絵」になる。

 もっとも、巻が進むに従って、「王都妖奇譚」の晴明も、次第に己の存在に疑問を持つようになって来ているから、これからの展開次第では、「鬼哭。」のように、内に潜む魔性に魅入られ、京を恐怖に突き落とす晴明と、そんな晴明を必至になって呼び戻そうとする将之との、男同士の激しい情愛の物語が語られるかもしれない。それはそれで、いかにも「少女漫画」らしいモチーフではないか。


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