将棋小説の傑作と言えば、野崎まどの「独創短編シリーズ 野崎まど劇場」(電撃文庫、610円)に収録されている「第60期 王座戦5番勝負 第3局」であることに、誰も異論はないと断じた上で、第20回電撃小説大賞で銀賞に輝いた青葉優の「王手桂香取り!」(電撃文庫、550円)もこれはこれで、将棋を描いて青春も描いた秀作だと言っておく。

 江戸時代の初期に作られ、ずっと使われてきた将棋の駒が美少女に化け、持ち主となっているヘタレ将棋少年の上条歩にアドバイスをして、強くしていくというストーリーは、一種の付喪神物であり擬人化物でありといった設定に、こちらは囲碁ながらも過去の棋譜を知り尽くした存在が、ヒカル少年を強豪棋士に仕立て上げた「ヒカルの碁」の設定を、重ね合わせた感じと例えれば伝わりやすいか。

 もっとも、香車に桂馬に歩といった将棋の駒が擬人化して現れた少女たちは、対局中の歩に1手1手アドバイスをし続け、最強棋士に仕立て上げるといったことは避けている。というより歩自身がそうしたズルを拒絶している。

 出入りしている将棋の道場で顔を合わせる、対局態度のよろしくない子供を相手にしたときと、その子供が負けた仇を取って欲しいと呼び出したプロ棋士の父親を相手にしたときは、対局の誠実さを重んじる駒たちの憤りもあって、知識を借りてこてんぱんにしてみせた。

 ただその後は、対局を振り返ってどこが悪いかを考えさせたり、何度も対局をこなさせてることで、歩の自力を上げていくことに努めている。そうした配慮が、棋力のインフレーションを招いて、日本どころか宇宙を舞台に、異能使いの将棋指しを相手にして人類の存亡をかけた対局をするような展開には向かわせず、リアルな世界での等身大のストーリーに止めさせる歯止めになっている。

 すなわち、ストレートに将棋そのものへの敬意を描き、将棋が持つゲームとしての面白さや奥深さを描き、そこで強くなっていくことの大変さと面白さを描いたストーリー。読んで自分も歩と一緒に成長していける気になれるだろう。

 ユニークなのは、将棋の小説や漫画にはたいてい添えられている、棋譜の1枚も本文の中には登場させていない部分。駒の運びも戦形もすべて言葉によって説明されているから、将棋の駒の並べ方も進め方も知らない人には、少し分かりづらいかもしれない。

 もっとも、場面ごとに棋譜を乗せると将棋の解説書みたいになり過ぎし、将棋が分かる人にはそれでいろいろと手筋も見え過ぎて、どこかに穴があるかもしれないと思わせ、本筋から興味を逸らさせる。将棋を知らない人には意味不明の図形が載っているようにしか見えないから、棋譜をまるっと排除したのは絶好の判断だったのかもしれない。

 分かる人は駒の運びを読んで脳内に棋譜を再現すれば良いし、手持ちの将棋盤があればその上で駒を動かせば良い。分からない人はなにかやっているなあ、そしてがんばっているなあと思えれば十分。あとは文面から滲み出てくるさまざまな逡巡、そして決断の描写が登場人物たちへと気持ちを引きつけてくれるだろう。

 将棋で強くなるという願いをかなえ、タイトルにもある歩にとって先輩の大橋桂香という少女に対局で勝って、関心を持ってもらうという希望もかなえた歩だけれど、上には上がまだまだいるのがこの世界。横歩取りという得意の戦形に持ち込まなければ、ライバルや桂香先輩に果たして勝てたか。そこの甘さを突き詰めていく展開が期待される。

 なにしろ将棋にはほかにも駒があって、そんな飛車角金銀といった大駒たちが未だ擬人化した姿を現さない。どんなビジュアルをしているのか、どんな性格なのかと想像してみたくなる。もっとも、そうした大駒たちを飛び越えてしまうような展開がラストにあって、これでひとつの幕引きかもと思わせる。

 だから、その後は想像の中に浮かべるとして、ここで見えた筆力を元に、今度は別の題材でほとばしる青春といったものを描いてくれても結構。どんな設定でどんなストーリーが紡がれるのか。期待して待とう。


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