オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える

 叫ぶべきかと迷った。「シュワーボ、オスタニ!」。意味は「ドイツ野郎、残れ」。1992年5月21日のベオグラードで響き渡ったこの言葉の向けられた先に、ドイツ系の血を引くイビツァ・オシムの体が震えていた。

 彼はこの日、ズベズダことレッドスター・ベオグラードを破ってパルチザン・ベオグラードをユーゴ杯の優勝へと導いた。そしてそのままパルチザンの監督を辞め、そしてスウェーデンで行われることになっていた「EURO92」に出場を決めたユーゴスラヴィア代表の監督も辞めると発表した。

 理由はオシムの故郷、サラエボを襲った戦火。チトーの死語、民族意識の高まりがお互いの疑心暗鬼を生んだ挙げ句、分裂の始まったユーゴスラビアでは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボへとクロアチア、セルビアの双方が迫り街を包囲。そこにオシムは妻と娘を残したまま、故郷を攻める勢力の片方、セルビアにある軍のチームを率いて戦っていた。

 気持ちは平穏ではあり得ない。けれども職務は真っ当するのが彼の流儀。サッカーを共に戦うセルビア人たちへの憤りもない。だからこそオシムはパルチザンを優勝へと導き得た。けれどもそれが精いっぱいだった。戦火は広がりユーゴ連邦から集まった選手達の周辺にも、その影が忍び寄っている。何より故郷が戦火にまみれている。辞めるより他に道はなかった。

 その時、選手たちが叫んだ。「シュワーボ、オスタニ! シュワーボ・オスタニ!」。ザボビッチが、ミヤトビッチが叫び手を振ってオシムを引き留めようとした。その叫びに込められているものは、単に自分たちを引き立ててくれ、優勝という栄冠へと導いてくれた監督に、今再びの栄冠をもたらして欲しいと依願する打算的な感情ではない。

 悪化する民族間の感情の中、自らの生命的な危険すら省みず、一切の打算を廃して選手たちの実力をのみ確信して起用するオシムのスポーツマンシップに対しての限りない敬意が、その叫びには込められている。同時に激しさを増す対立の中で、なおいっそうの困難に襲われるだろうオシムを守り続けるのだという覚悟も。

 2005年。イビツァ・オシムは日本のJリーグに所属する「ジェフユナイテッド市原・千葉」を率いて3年目のシーズンを戦った。3年に至って注ぎ込まれたオシムの教えを守り且つ倍にして返す意気込みで戦い抜き、「ナビスコカップ」の優勝という初の栄冠を勝ち取った。リーグ戦でも最後まで優勝争いに絡む活躍を見せた。

 けれども4年目があるかは分からなかった。2年目より3年目より続投の可能性は小さかった。選手たちは叫にたかっただろう。「シュワーボ・オスタニ!」。サポーターたちも声を合わせて唱えたかっただろう。「シュワーボ・オスタニ!」。誰もが一緒になって叫びたかった。「シュワーボ・オスタニ!」。

 けれどもその一方で迷いが浮かんだ。それで良いのか。サラエボの地で迫る将来に不安を覚えながらもオシムを慰留し、果たせないまま10年近い暗黒へと突入し、それでも怯まず立ち直ったパルチザンの人々程の覚悟が僕にはあるのだろうか。勝ち続けているチームが見たい。ただそれだけの気持ちでオシムを日本の地に縛り付けていて良いのだろうか。

 木村元彦の「オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える」(集英社インターナショナル、1600円)に引かれたオシムのエピソードを読み、あの時代、あのベオグラードで「シュワーボ・オスタニ!」と声を枯らして引き留められたオシムの、それでも戦火にまみれる故郷を思い、サッカーが政治に蹂躙される悲劇を嘆いて身を引いた慚愧を想うと、己が欲望から引き留めようとすることに恥ずかしさが浮かび言葉が詰まる。

 オシムの故国ボスニア・ヘルツェゴビナがセルビア・モンテネグロとドイツワールドカップの予選を戦う試合が行われた2004年、サラエボを訪れていた木村元彦が体験したエピソードに心を打たれる。1300日以上に渡って包囲されたサラエボで苦難の時間を過ごしたムスリム人女性のタクシードライバーが木村さんを案内する。

 戦時下の苦労を語りオシムがかつて指揮したジェレズニチャルのスタジアムへと連れて来て、ドライバーはそこが戦場となったことを話し、ユーゴ人民軍への憤りを語る。けれども木村元彦が、何故日本からサラエボに来たかのか、それはジェレズニチャルで監督をしていた男のことで来たのだと話すと彼女は言葉を詰まらせる。そして語る。

 「オシムは、あの頃、サラエボの星だった」「想像を絶する暮らしが私たちを待っていた。そんな中で、オシムが我々に向けて言った言葉、『辞任は、私がサラエボのためにできる唯一のこと。思い出して欲しい。私はサラエボの人間だ』……。そしてその後の活躍を、皆が見ていた」「間違いなく……、わが国で……、一番……、好かれている人物です」。

 12年も前に一介のサッカーの監督が発した言葉がサラエボ市民の、ボスニア国民の心を捉えて放さない。それだけの人物を、故国が待ち望み敵対していた国の人々が敬愛を抱き続ける人物を、ただ凄い監督だからとこの島国に引き留めていて良いのか。人々を振るわせるオシムの力を、ただジェフ千葉を強くすることだけに注がせて良いのか。だから迷った。叫ぶべきか。叫ばざるべきか。

 木村元彦はあとがきに書く。「夢は、いつか悲しいオシム離日の日が近づいたら、日本のファンとともに『シュワーボ、オスタニ(ドイツ野郎、残れ)』の大合唱で翻意させることである」。その夢には誰もが100%同感するだろう。「お前は悔いなく人生を走っているか? 今のままでいいのか?」と励まされたような気がすることも同じだろう。

 しかしけれども……分からない。その日が来るまできっと迷い続けることだろう。ただこれだけは心に刻んでおくべきだ。例えスタジアムで「シュワーボ・オスタニ!」と叫ぼうとも、僕はそこに一切の打算を込めないと。

 素晴らしいオシムの存在はただジェフ千葉のためのものではない。日本サッカーのためのものであり、世界のサッカーのためのものであり、地球に暮らすすべての人々のためのもの。それが今、千葉の地でたまたま偶然に煌めきを放っているだけのことであり、その煌めきを今しばらく千葉の地から放っていて欲しい。

 そんな想いから人々は「シュワーボ・オスタニ!」と叫ぶ。敬意を込めて「シュワーボ・オスタニ!」と叫ぶ。例え入れられなくても一切の怨みは抱かない。哀しみも覚えない。偉大な存在がいるべき場所は世界の至る所にあって、そこにいても彼は地球の人々と世界のサッカーと日本のサッカーとジェフ千葉のサッカーのために言葉を発し続けてくれるのだから。

 答えはいらない。すでに「オシムの言葉」がある。それだけで十分だ。そこから得よう。過去を見つめる目を。未来を切り開く力を。


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