おんもらきのきず
陰摩羅鬼の瑕

 「姑獲鳥の夏」に始まる京極夏彦による”京極堂”のシリーズは、核となる事件とそれを起こさせた心理状況なり社会環境なりを、膨大な知識をバックに言葉をつむいで成り立たせ、どれほど不可能で不可思議な事件であっても、起こり得るのだということを読む人に納得させてしまう、強いパワーにどれもが溢れている。

 だから冒頭の1行で事件の犯人が分かってしまったとしても、それが小説としての大きな瑕疵となることはない。むしろだったらどうしてそんな事件が起こったのかを、説明しようとして綴られた知識と言葉が、どのような過程を辿って終着点へとたどり着くのかを、いっしょになって辿りながら彷徨うなり、1歩下がって俯瞰するような感覚で、楽しむことができる。

 シリーズ最新刊の「陰摩羅鬼の瑕」(講談社ノベルズ、1500円)もまた、他のシリーズ作品と同様に、圧倒的な分量の言葉と知識によって、不可能と誰もが思った事件を成り立たせる、そのプロセスを心ゆくまで楽しめる小説だ。鳥の剥製が無数に飾られていることで知られた白樺湖畔の洋館「鳥の城」。そこに暮らす主は、過去に4度女性と結婚をしようとして、いずれも婚礼の夜に女性を殺害されるという不幸に見舞われていた。

 犯人は不明。いつの時にも嘆き悲しんだ伯爵は、けれども妻を娶ることを諦めず、遂に5度目の結婚をすると決め、相手を洋館へと招いていた。今回ばかりは伴侶を奪われたくないと思ったのか、伯爵は探偵の榎木津礼一郎をガード役として招き寄せ、そこに小説家の関口巽が、目の見えなくなった榎木津のサポート役として同道していた。

 見えないものを見る力を持った榎木津の到来に、かつて伯爵の妻殺害を調べたことのある元刑事の依頼を受けた”京極堂”こと中禅寺秋彦の参入もあって、5度目の悲劇は避けられそうだった。しかし魔手は、一般常識の範囲を超えて「鳥の館」へとしのびよっていた。榎木津は、関口は、京極堂は事件を未然に防げるのか。白樺湖畔を舞台にした見えない犯人と榎木津、関口、京極堂らの戦いの幕が開かれた。

 「絡新婦の理」では、蜘蛛の巣状に錯綜する人間関係を解きほぐし、まとめ上げてはそこに悲しい事件を浮かび上がらせる手腕を発揮し、「塗仏の宴」では、前編「宴の支度」と後半「宴の始末」の大著2部を使って、時間と空間の隅々にまで及ぶ遠大にして壮大な仕掛けを作り上げ、その上でキャラクターたちに大活躍を演じさせた。さらには中禅寺秋彦の過去へと話題を踏み込ませて、ライバルとなるキャラクターの存在をシリーズの上へと浮かび上がらせた。

 それ故にシリーズの最新刊では、さらに奥深く幅広い圧巻のストーリーを読ませてくれるものだといった期待もあった。だが最新刊で京極夏彦は、シリーズの原点とも言える「姑獲鳥の夏」へと還り、シリーズの醍醐味を再確認するかのような内容を繰り出して来た。入った力にも並々ならぬものがあったのだろう。事件の根幹を成す仕掛けに関して、それが成立する背景を時代的、社会的な部分まで含めて綿密に練り上げ、作り上げる手腕がいかんなく発揮されていて、その緻密さしたたかさに誰もが唖然とさせられる。

 事件の手腕があまりに強引で突拍子もないものだったからだろう。なぜ事件は起こったのかといった理由を明かし、仕掛けを示す段へと至る道のりで繰り出される、さまざまな知識の開陳は、事件の成立に向けた強い説得力を放っている。手に取る人の大半は、読みながらそのパワーの一端に感化され、知識が組み立てる世界の可能性へと、思いを馳せることになるだろう。

 とは言え、言葉によって繰り広げられる論理が、突拍子もなさ過ぎるアイディアを想像力で現実のものとしてしまう傾向の作品が比較的多いSFを読み慣れていて、言葉や語りが世界を左右する話にも触れたことのある身には、「陰摩羅鬼の瑕」で起こる事件の核となっているアイディアに、大きくは驚けないかもしれない。

 そうでなくても京極堂シリーズを読んで来た人にとってすら、どこかに見覚えのある解釈でもあったりする。突拍子もない世界観を破綻なく組み上げる仕掛けの巧みさに「さすが」と感嘆は出来ても、物語から放たれるメッセージへの驚きや、トリックそのものの口が開いたままふさがらなくなるような圧倒感は、近作に比べると弱かったようにも思える。

 相変わらずに「陰摩羅鬼の瑕」の折り返し部分には、次回作として「邪魅の雫」のタイトルが掲げられている。これが果たしてより一層の原点回帰を狙い、突拍子もない事件を知識と言葉で現実のものとするような、思考のアクロバットを楽しませてくれる内容になるのかは分からない。そうなる可能性もあるし、そうならない可能性もある。かなりある。

 これぞ京極小説の醍醐味と思う人には、「陰摩羅鬼の瑕」のような路線が最適なのかもしれない。ただ前作「塗仏の宴」で、強力なライバルを相手にこれまで狂言回し的な役に甘んじてきた京極堂が、主体的に動き事件を根こそぎ解決していってしまうようなストーリーに、エンターテインメントの神髄を見て、一段のバトルを期待した人も少なからずいたりする。果たしてどちらへと転ぶのか。どれくらい待てば答えは得られるのか。京極夏彦の旅は続き読者は待ち続ける。


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