御松茸騒動

 規則で雁字搦めになっていて、今日を生きるのが精いっぱいな世の中よりも、余裕があって楽しくて、だからこそしっかりと明日のために生きていこうと思える世の中の方が、活気もあって前向きだろうと誰だって思う。

 けれども、喫緊の課題が財政面の緊縮になっていると、その方向へと流れてしまうのが世の常というもの。未来の安定した繁栄までをも見越した尾張徳川家の第7代藩主、徳川宗春による改革は、だから道半ばにして断念させられ、宗春は幕府によって蟄居を命じられてしまい、そしてしばらくの時間が過ぎた宝暦年間。

 尾張藩士だけれど、父親が江戸の藩邸に出ていた関係で、そこで生まれて尾張を知らずに育った榊原小四郎という若き藩士がいて、父の仕事を受け継ぎ江戸の藩邸で経理や庶務の仕事をこなしていたものの、どうにも才気が前に出てしまう。それが若さと言えば言えるのだけれど、たいした後ろ盾も持たないまま、才気をひけらかしては上司の鈍重とした仕事ぶりにプレッシャーをかけたのが拙かった。疎んじられて小四郎は江戸の藩邸を追い出される。

 そして命じられたのが、御松茸同心という仕事。名前のとおりに珍味にして豊潤な香りを含んだ松茸の収穫を差配する仕事らしい。なんでも尾張藩は全国的に見ても松茸の産地だったらしく、近郊の山で良い松茸がたくさん採れては、それを藩士だけで楽しむのではなく、幕府に献上したり大奥に入れて政治にも使っていたという。

 ただ、最近どうも松茸の生育が悪く収穫が少ない。それをどうにかしろというのが藩からの命令で、受けて小四郎は生まれてから1度も行ったことがない尾張へと戻り、そこで歩いたこともない山へと向かって、松茸の状況を調べようとする。

 そこには小四郎と同じように御松茸同心を命じられて、そのまま何年も捨てて置かれた矢橋栄之進という男がいて、山の面倒を見続けている御山守の老人がいて、その下で働く者たちがいてと、とりあえず体制はできあがっていたものの、こと松茸の生育だけはうまくいっていなかった。どうしてなのか。

 野菜や樹木と違って、栽培の経験が生かせるものでもないのが松茸。それでも村人たちは、うまくやる方法を何とはなしに知っていながら、それを積極的に試そうとはしない。どこか微温的とも冷熱的とも言えそうな漠とした状況に、若くて出世意欲に溢れながらも素人の小四郎が入っていって、才気だけで切り抜けようとしてもうまくいくはずがなかった。壁にぶちあたって悩み、藩からは収穫ができない咎めも受けて、期限の3年を過ぎても藩政へと戻れる兆しは得られなかった。

 このまま栄之進のように山に骨を埋めるのか。そうはなりたくない小四郎に、父の縁があったかあるいは偶然からか、手に入った知識とそして大きな伝が奇跡を呼ぶ。鍵となったのは大殿こと徳川宗春の存在。蟄居しながら10余年を過ごした今もなお領民に慕われつつ、藩士には財政破綻の責任者として疎まれ、幕府から睨まれていた存在が、かつて見せていた強い意志と思い。それが時を隔てて小四郎たちに届き、動かして松茸の復活へと導く。

 語る人によっては奢侈なだけの暗愚な殿として描かれることもある徳川宗春だけれど、一方で厳格な治世の中に気分的な衰退を招いた吉宗より、英明な君主だったと讃える向きも少なくない。年に1本くらいだった芝居を100本くらいは招いて見せ、尾張名古屋を“芸どころ”として世に知らしめ、からくり人形の技術も発達させて、中部地方の工業力の礎を築いた。朝鮮人参を栽培して薬学でも偉績を残したという宗春の施策は、時を隔てて中部をこの不景気でも元気の良い土地として立たせている。

 そんな先見性を持った宗春の施策がただ、瞬間の浪費的な財政出動だけで終わったはずはないという見立てから、その後のことを何か考えていたに違いないという推測を混ぜ、その根底に将軍家があって武士がいて、町人農民商人が従うような構造ではなく、誰もが人間として台頭に取引を行うような関係を思い描いていて、それが封建制絶対の幕府の不興を買い、恐れを呼んで不遇を与えたといった想像を巡らせる。

 つまりは政争であり、弾圧でもあった宗春蟄居の原因を、うっすらと感じさせながらその上でただ生真面目で、幕府を讃え藩政を尊びそれに逆らった施策を疎んじていた青年を、いろいろと考えられる大人へと成長させていく。直木賞作家の朝井まかてによる最新の書き下ろし小説「御松茸騒動」(徳間書店、1600円)は、そんな小説だと。

 尾張名古屋を舞台にして、徳川宗春という希代の人物についてポジティブに描き、それを慕う者たちの気持ちの良さも描いた物語。尾張名古屋に縁のある者なら読んで嬉しい気分になれるだろうし、そうでなくても才能の使いどころは慎重にしなければ、無駄に終わってしまいかけない可能性を持っていることも教えてくれる。

 宗春は一生をほとんど棒に振り、小四郎も若い時を捨ててしまいかねなか訳だから。ただ、どうにか再起した以上はきっと、家老は無理でも相当な地位へと上り詰め、奔放な人生を選んだ義母を窘め、嫁ももらって充実した生涯を終えたものだと思いたい。結婚相手は千草だったのかそれとも。そこだけが気になる。


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