ノノノ・ワールドエンド

 読みながら浮かんだのは、一二三スイによる「世界の終わり、素晴らしき日々より」(電撃文庫)という作品で、なぜか人が消えてしまった世界で、残った少女2人が出会っては、「高国」という国の軍人がまだ少し残っている中で、どこへともなく歩んでいくという話だった。

 無法地帯とまではいかなくても、退廃が進んでいる世界で命のやりとりも行われいてて、状況としてはかなりシリアスだけれど、どこか明るい雰囲気が漂っていたのは、2人の少女があまり諦めを漂わせていなかったからか。それでも滅び行く世界を、少女が2人で生きていく大変さといったものを感じさせてくれた。

 もうひとつ、記憶から浮かんできたのが西村悠の「ROOTER」(桜ノ杜ぶんこ)という作品で、人の願いを現実にしてしまう「幻想病」が流行し始めて、それに誰も彼もがとりつかれ混沌とした日本の中を、これは少女と男がいっしょに東京へと向かって歩いて行くという話だった。

 世界の変容を前にうろたえる人、諦める人とさまざまな人の機微が見える、これらの作品たちと同様に、「銃皇無尽のファフニール」などのシリーズを持つツカサが出した「ノノノ・ワールドエンド」(ハヤカワ文庫JA、720円)もやはり、ほとんど滅亡に瀕した人々が、世界の急激な変容をどう受け入れ、その中でどう生きるべきかを感じさせる作品と言えそうだ。

 突然に発生し始めた霧のようなものが、だんだんと世界を見えづらくして、そして霧が濃くなった地域からは、人が消えてしまうといった話も伝わり始める。霧が薄い場所へ逃げれば助かるかもと、母親とその再婚相手とともに自動車に乗ったノノだったけれど、同じように脱出を目指す渋滞の中で義父はいらだち母を殴って怪我を負わせ、そこに霧がかかって母親が消えてしまう。

 普通だったら事件だけれど、混乱にある世界でそれを問う者はおらず、父親はいらだちの矛先をノノへと向けて牙をむき、ノノはその手を逃げて辺りを彷徨っていた時、何者かに追われている白衣の少女を見かけていっしょに逃げ出す。彼女の名前は加連。飛び級をして大学に進んだ天才で、そして世界が霧に覆われ滅びようとしているのは、自分のせいだと言い始める。

 どういうことか。それは何かの研究の結果らしい。とはいえ彼女が直接手を下した訳ではなく、霧が招く死んだ人の亡霊のようなものを求めた女が、加連の発見を使って世界を脅かすものを作り上げてしまった。どうしてそんなことをしたのかと問いただすため、加連は女に会いに行こうとしていて、ノノはそんな加連に付き合って、霧の濃くなる中を東京へと向かう。

 途中、スーパーの地下に避難しながら食糧を漁って生きる男たちと出会い、いっしょにいた青年が彼女がいなくなってしまったと探す場面に居あわせて、それが霧にまかれたものかどうかを解き明かす一件。終末に優しい気持ちで臨む人間もいれば、欲情を剥き出しにして刹那に走る人間もいるといったことが浮かび上がる。どういう終わりを迎えたいのか。それともずっと存在し続けたいのか。いっしょにいる誰かがいるのといないのとでは、終末に向かう気持ちも変わってくるのかもしれない。

 刹那に追い込まれていたノノは加連と出会い歩き始めた。その先がたとえ終末でも、いっしょにいて歩き感じ合うことで未来を得た。諦めや絶望といった感情はそこにはない。そこから、人はひとりで生きるより、誰かと生きていく方が絶対に良いのだと思えてくる。霧が人を消し、世界を滅ぼす理屈づけに突飛さが感じられないこともないけれど、そういうものだと思いつつ、そうなった世界でどう生きるかを思弁する物語だと思えば、これも十分にSFだろう。

 過去、大原まり子の「薄幸の町で」や「有楽町のカフェーで」といった、滅び行く世界を生きる若者たちを描いた短編があって、SFの世界で叙情と切なさを感じさせる作品として受け入れられていた。確固とした科学的な設定は必要とせず、たとえ雰囲気に過ぎなくても、その上に組み立てられるドラマを楽しむ種類の物語。「ノノノ・ワールドエンド」もその系列に連なる作品だと言えるだろう。

 ノノと加連の間に通う情感を、百合めいたものとして楽しむこともアリだけれど、普通に人と人とが出会い、分かり合って求め合う大切さが感じられる作品と理解しても良さそう。そういった感情を描き、心の動きを描ける作家。次はどんなビジョンの中で、懸命に生きる人々を描き出してくれるのか。期待して待とう。


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