波よ聞いてくれ 8

 2011年3月11日の午後2時46分ごろに始まった、三陸沖の太平洋を震源にした激しい揺れは東北にとどまらず、西は関東から中部へといたり、北は北海道にも届いて東日本の広い範囲に甚大な被害をもたらした。東日本大震災と名付けられたその地震によって、東北を中心とした太平洋沿岸には津波が押し寄せ、その映像はテレビで生中継されて見る人に深い絶望を与えた。

 現場で今まさに巨大な波にのまれようとしている人たちからすれば、テレビ越しの絶望感など取るに足らないものであったことは当然だ。そういう人たちにとってリアルタイムで状況を目の当たりにできるテレビの映像が、停電や破壊などを免れて映ってさえいれば大いに助けになったことも想像に難くない。テレビが果たす役割は決して小さくない。

 一方で、強いインパクトを直接、映像によって伝えてしまう面もテレビは持っている。直接の被害は免がれ、ひとまず落ち着き先を見つけた人にとって、そうしたテレビによる直接的な災害の姿は、さらなる恐怖を煽り不安にさせる働きもあった。だったら文字だけのネットはどうか。個人の感想がダイレクトに発信されては受信されるネットでは、不安ばかりが増幅されかねない。

 そんな時、ラジオだったらどういった放送が出来ただろうか。そして、どういった働きをしただろうか。2011年3月にラジオをほとんど聞いていなかった人間にとって、今に至る関心事だったりする。そのことを、少しなりとも教えてくれそうな場面が、沙村広明による漫画「波よ聞いてくれ」のシリーズ最新刊となる「波よ聞いてくれ 8」(講談社、660円)に登場する。

 北海道を未明に襲った大きな地震は、津波こそなかったものの山崩れなどを発生させ、大きな被害をもたらした。家財もめちゃくちゃになった上に、停電で真っ暗な中に放り出された人たちに向けて、藻岩山ラジオ局(MRS)で深夜というよりもはや早朝に近い時間に、時分の番組を持ってパーソナリティを務める鼓田ミナレは不安なリスナーを鼓舞し、困った事態を解消するためのアイデアを集めて発信して、最初の夜を乗り切らせる。

 ミナレに限らずラジオのリスナーたちは、声でリスナーに語り掛けては適切な適切な情報を発信しつつ不安を除き、落ち着いた時間へと戻ってけるように誘導する。ショッキングな映像に寄りがちなテレビではなく、強い言葉が増幅されがちなネットでもない、意思と心意気によって選んだ言葉を発進していけるラジオならではの役割が、感じられるエピソードになっていた。

 もともとは、札幌にあるスープカレー屋で働いていた20代の鼓田ミナレが、愚痴のように喋った50万円もの金を持ち逃げした男への罵倒の言葉を録音され、ラジオで流されたことから始まったラジオ局との付き合いが、ミナレをパーソナリティへと引っ張って、そのまま時分の番組を持つまでに至らせる。

 ズブの素人が意外な才能を認められ、駆け上がっていくシンデレラストーリーとも言えるものの、一気呵成のサクセスにはならないところが現代的。担当する番組も、自分を裏切った男を女が殺害する様子を、まったく事前に説明を入れないでミナレが実況風に喋る内容で、破天荒さにあふれている。

 そうした無茶を承知で引き受けては、突破していくミナレの生きざまを面白がれる作品であり、またラジオという媒体が持つ特徴や、置かれた環境をストーリーに乗せて開設してくれるお仕事漫画でもある。第5巻と第6巻に入っている、波の智慧派という宗教法人が登場するエピソードでは、ラジオを含めた放送メディアが直面している課題も指摘される。

 テレビにはかなわず、ネットにも推される中で宙ぶらりんなメディア。そんなラジオが持つ意味を、第7巻の終わりで発生した、北海道を襲った大地震を受けて改めて感じさせてくれた第8巻を経て、物語はどこへと向かうのか。バレンタインデーの特別番組に抜擢されそうなミナレはスター海道を歩むのか。兄の過保護からようやく抜け出した城華マキエは、放送作家として独り立ちしていけるのか。興味がつきない。

 2020年にテレビアニメ化されて、杉山里穂が演じるミナレが腹の底から出るような強い声で、どこまでもパワフルな鼓田ミナレというキャラクターに命を吹き込んだ。その声が、放送されたエピソードの中ではまだ描かれなかった、未曽有の震災でも決して慌てず、かといって煽らず日常と非日常の境目を感じさせない喋りでリスナーを引っ張った場面で、ミナレをどう演じるかを是非に見たい。


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