流さるる石のごとく
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 スーパーとかコンビニエンストアとか、ふだん、何気なく使っている店でも、それぞれに複雑な仕組みでもって運営されていて、裏方の苦労なんかを教えてもらうと、結構感心するものだ。例えば万引き防止装置が、どれだけ複雑な仕組みでもって動かされているのか、とか。

 装置自体のハードウェア的な発達もさることながら、万引きする人間と万引きを防ごうとする店側との心理的な駆け引きなんていうのも、実際に万引きでもしてみないことにはちょっと想像がつかないから、教えてもらえればやはり勉強になる。

 万引きする人を取り締まる保安士を主人公にした渡辺容子の江戸川乱歩賞受賞作「左手に告げるなかれ」は、保安士の仕事なり「コンビニ業界」の実態を知る上で、とても勉強になった。そんな渡辺容子が、だったら万引きのエキスパートだったかと言うと決してそうではない。彼女の場合はとにかく取材、取材、取材に積み重ねによって万引きという行為にまつわる心理から、これを取り締まる仕組みまでを綿密に調べ上げて小説に盛り込んだ。

 江戸川乱歩賞に限らず、自分の普段の仕事での経験を存分に盛り込んで小説を書き、裏の苦労を教えてあげましたとばかりに選考委員や読者の関心を集める人が妙に目に付く中では、取材→執筆というジャーナリスティックな面を持つ”社会派”と呼ばれる作家だと言える。

 パチンコ店の経営とか裏ロム犯罪の仕組みとか、やっぱり普通の人では興味はあっても調べるに億劫な題材を物にした「無制限」(講談社)でも見せたその調査魔ぶりが、今度は「アルコール依存症」「宝石店」「ペースメーカー」に対して発揮されたのが、最新作の「流さるる石のごとく」(集英社、1680円)ということになる。並べたまるで三題噺のようなキーワード。発端となっているのはそのうちの「アルコール中毒」だ。

 さる資産家の娘だった圓という美貌の女性が、親の反対を押し切って元家庭教師で今は医大の助教授という男と結婚したものの、彼との結婚生活が倦怠期を迎えるに従って、ぽっかりと空いた心を埋めるためなのか酒に浸るようになり、次第に酒量が増え、ついにはアルコール依存症と言うべき状態にまで達してしまった。

 妻を直そうとする夫の強い勧めもあって、アルコール依存症の人ばかりが集まる集会に出かけた圓が、会場で出会って仲良くなった娘がなぜかしばらくして自殺。そのさらに妹と名乗る女性が圓を訪ねて来た所に、今度は夫が誘拐されたとの知らせが飛び込んで来て、財産狙いと非難した父親への反発心を含みながらも、やっぱり夫が気になって仕方がない圓は、名古屋から賢島、鳥羽へと犯人の求めるとおりに三重県内を動き回る。

 ところが旅先で知り合った万引き防止装置を開発する会社の男の勧めもあって、自宅に電話を入れたところとんでもない事態に、今度は夫が巻き込まれていることが判明した。そこから事件はいっそうの複雑さを増して、誰が犯人なのか、何が犯行の手がかりなのかを散りばめられた物証らしき者、散りばめられた犯人らしき人々の中から想像をめぐらせる羽目となる。

 心臓が悪くペースメーカーを入れた夫を気遣う妻、と言えば貞淑な妻を想像しがちだか、そんあ愛情の裏返しのように圓は夜な夜な男を漁りに街へと繰り出している。夫も夫で、妻のアルコール依存症を治そうと働きかける健気で従順で愛情の深い男に見えるけれど、そもそもの事件の発端となって、かつ誘拐事件の犯人とグルかもしれない女性と出逢うきっかけを作ったことが或いは何かの陰謀と思わせるほどに、どこか妻に含むところがある。

 夫婦は愛し合っているのか、それとも憎み合っているのか。妻と夫のどちらが信じるに足る人物か。挟まれる「アルコール依存症」「ペースメーカー」「万引き防止装置」「宝石」といったキーワードの解説に”お勉強”しながら、プラスへ、マイナスへと目まぐるしく変化する夫婦間の愛憎の感情にもてあそばれるかのごとく、ラストまで真犯人の謎に引っ張られてページをめくらされる。

 「万引き」であり「コンビニ業界」であり「パチンコ業界」であり「糖尿病」といった切り口となるキーワードがあって、それらを説明しながらも確実に事件の全容へと迫っていくことが出来た乱歩賞受賞作以降の3作品と比べると、「アルコール依存症」はあくまでも主人公と夫との複雑な感情を表現する道具に過ぎず、「ペースメーカー」も最終的な事件を引き起こすための一つの道具として使われただけで、どうにも物語に絡んでこないのように思える点が気になる。

 けれどもそんな知恵のひけらかしのような部分は、決して著者の本意ではなく、むしろ底流に流れる「夫婦の愛憎」というテーマそのものを浮かび上がらせる道具立てに過ぎないのだと、そう思えばイネス・フレサンジュよろしく「説明しましょう」とメタレベルで突っ込まれているかのような余所余所しさも消える。

 そういう意味で言えば”社会派”というレッテルは渡辺容子の場合は相応しくない。むしろかつて仕事をしていた「ロマンス小説」なり「ジュニア小説」といった、舞台や世界の説明はそれとしてあくまで人物像を中心に物語を進めて行く、ストレートな小説家だと言った方が良いのかもしれない。思い返すに過去の作品でも、夫婦間なりの愛憎を描くことに主眼がおかれ、「コンビニ業界」も「パチンコ業界」もあくまで舞台設定の1つに過ぎないことが分かる。

 だがそれでも、彼女の特質を承知でなおも欲を言うなら、過去の作品に共通する夫婦間のトラブルといった主テーマを浮かび上がらせるために、かくも綿密な調査を重ねるのはやはり勿体ない。いつかで良いからその調査魔ぶりを社会全体が抱える闇へと押し拡げて、真に”社会派”としての作家・渡辺容子を見てみたいという気がしてならない。さてどうだろうか。


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