虫と歌 市川春子作品集

 愛別離苦。そして生老病死。人として生まれたからには、避けることのできない苦しみだと、仏教に言われてきたこれらはけれども、人に限っての苦しみではないく、あらゆる生けとし生きるものたちすべてが感じ、想い、味わって嘆く苦しみなのだということを、教えられる本がある。

 講談社の漫画誌「アフタヌーン」でゆっくりと描かれて来た、市川春子の漫画を集めた「虫と歌 市川春子作品集」(講談社、600円)。その収録作品のいずれにも、人ならざるものたちが関わった、出会いの愛おしさと別れの切なさ描かれていて、哀しみ苦しみの情感を強く抱かせられる。

 さつきという名の少年が訪ねた叔父の家には、さつきの切断された指先から育ったというつつじという名の少女がいて、さつきとしばしの交歓を持つ。己の身より出たこともあって、さつきは兄に似た立場に留まらない好意を、つつじに対して抱くものの、つつじは育ててくれた叔父を愛おしく想い、かといってさつきを拒絶できない矛盾の中で、自らの腕を切り落とし、さつきのために新たな自分を生み出そうとする。

 はじめに紡がれる「星の恋人」には、人間ならざる生命体の存在が前置きもなく示され、清々と物語が繰り広げられる。あまりのスムースさにはじめは戸惑っていた読み手も、次第に状況へと入りこんでは、向かう愛が向けられた先で阻まれ届かない切なさに泣き、永久の別れと未だ訪れない新たな出会いという、哀しさと歓びの感情のはざまに立ちすくむ。

 飛行機に乗っていたはずの大輪未来という名の少年が、目覚めると山間で天野すみれと名乗った少年と2人だけになっていた。やたらと強い静電気を発するすみれと連れだって、未来は山を歩き、川を越えて進んでいく。その最中で未来は自分の身に起こったことを知り、引いた視点からすみれの正体が語られ、突然の悲劇によって引き起こされた死と離別の苦しみに胸を引き裂かれ、心を揺さぶられる。

 「ヴァイオライト」から浮かぶのは、引き裂かれ、残された生の虚ろさだ。昇華していく未来の後を継ぐように、海辺から現れた少女の生もまた、空虚さに沈むのか。それとも今度こそ喜びの淵に浮かぶのか。軽く見積もられた未来の生が、懸命な彼の振る舞いを通してすみれを変え、向こう側にいるなにものかを変えて少女へと戻り、生かされるのだと信じたいが…。

 「日下兄妹」。投げすぎで肩を壊した高校生の投手が、手術を拒否してひきこもった家で、古いタンスの引出から小さい奇妙な物体が、現れ転がっていく様を見る。物体はだんだんと大きくなり、形を持ちはじめ、そして手足のようなものを生やしては、本を求め知識を吸収し、ひとつの生命として成長していく。

 出会えた歓喜が、離別の哀しみへと至ったその先。寄り添って歩く歓びというものが立ち現れ、さらに大きな出会いへの想像力がわき上がって前へ、上へと向かう大切さを強く、激しく思わされる。

 奇妙な存在を目にしても、まるでひるまない主人公とその仲間たちの、それを決して凶事ではなく、好事と感じて受け止める大らかさが妙に微笑ましい。異常が異常として騒がれず、淡々と受け入れられていく描写の、あらゆる生命を包み込むような優しさが、シンプルな線による柔らかい描写と噛み合って、静かな感動を呼び起こす。市川春子ならではの特質といえる。

 そして、表題作の「虫と歌」。これを読み終えた時に浮かぶ哀しさと虚しさは、前の3編に大きく勝って、心に鋭く刺さる。どうしてなんだと叫ばずにはいられなくなる。

 虫の模型を作って暮らしている兄と、学生の弟に妹の3人が暮らす家に、羽をもった不思議な少年が現れた。どうやら兄が、虫を改造するようにして生みだしたものらしい。最初は恨みかと身構えたものの、帰巣本能に近いものだと感じ、受け入れいっしょに暮らしはじめた兄妹たち。けれども、訪れた冬に虫の少年は寿命を迎え、そして弟と妹にも厳然として逃れられない未来が突きつけられる。

 愛別離苦。肉親であろうとなかろうと、関わりを持てばそこに情動が生まれ、心を揺り動かす。生老病死。人間であろうとなかろうと、生きとし生きるものには生きることへの喜びと、死ぬことへの恐怖がある。

 残していくものは、断ち切られる生に怯え苦しみ、残されるものは、訪れるだろう別れに胸焦がす。その時期がやがて訪れ、そして過ぎたあとに兄がひとりつぶやく言葉の、一言ひとことが深い後悔と激しい自責を感じさせる。それゆえにどうしてなんだ、どうしてそこまでしたのだとなじり、叫び出したくなる。

 描かれた静かな離別に涙しつつ、描かれなかった苦しさに満ちていただろう離別に、行く側、残される側の抱いた苦衷を思って、どうして止めなかったのだ、どうしてはじめてしまったのだと糾弾したくなる。けれども。

 「生まれてきてよかった」。そんなひとことが救いとなって、沈んでいる心に一筋の光となって差し込む。

 いずれ断ち切られるものでも、そこに存在できたことを歓びたい。それは安心させようとする優しさから生まれた、慰撫の言葉に過ぎなかったのかもしれない。それでも生きられたこと、生きて出会えたことを歓ぶ気持ちに、たぶん偽りはなかった。

 免罪符とはせずとも、動機にはできるその言葉を心に刻むことで人は、否、人ならざるものも含めて、生けとし生きるものは自らの生、ほかのものたちの生を感じてそして繋がりあっていけるのだ。

 SFとしての設定に、物語としての奥深さも備えた珠玉の短編たち。とてつもない描き手の登場を、あらゆる生命が歓んでいる。


積ん読パラダイスへ戻る