楽園まであともうちょっと 1

 朝日ソノラマから出ている「百鬼夜行抄」のシリーズで、ホラーな中にコミカルな、あるいは逆にコミカルなんだけど恐ろしいテイストの話を描く漫画家として、名前が一気に知られるようになった今市子だけど、芳文社というところから出ている「花音」という雑誌で掲載された漫画を収録した「花音コミックス」のシリーズに限って言えば、以前に出た「大人の問題」にしても「あしながおじさん達の行方」にしても、ホモセクシャルな人々がおりなす健気で純情な思いと世間の固定観念とズレをコミカルなテイストにくるんで見せる話ばかりが発表されていて、あるいはこちらが地(得意にしている、という意)なのかとすら思えてくる。そうでなくても「百鬼夜行抄」では律と青嵐とのあいだにそうした関係は毛ほども伺えないだけに、描く作者の引き出しの多さには感心する。

 「花音コミックス」では3シリーズ目に当たる「楽園まであともうちょっと 第1巻」(芳文社、562円)も前の2作と同様に、中身はやっぱり男性どうしのアレな描写が折り込まれていて、馴れない目にはそれなりに厳しい内容に映るかもしれない。ただし馴れないからといってそこで捨ててしまうのは正直言ってもったいない。アレな描写といっても今市子の場合はそのものずばりなハードコアを見せることはなく、あくまでも人間関係として描くことを種としていて、且つそうした関係が醸し出す雰囲気だけがあればいいというものでもない。

 言うなれば自分のルーツを探る少年の成長物語が巧みに折り込まれていた「あしながおじさん達の行方」と同様、「楽園まであともうちょっと」の場合も男と女のドメスティックにバイオレンスな関係や、旅行代理店という商売が直面している問題点、そして山登りというスポーツから得られる解放感といったものが人間関係のドラマを時には背景から照らし出し、時にはドラマに深く絡んで読む人たちにさまざまな勉強をさせてくれる。

 例の2001年9月11日に発生した「米国同時多発テロ」は海外旅行を激減させて日本の旅行代理店を幾つかつぶしてしまったけれど、それより以前のバブル崩壊からかつてのような猫も杓子も(猫や杓子にパスポートが出るかどうかは別にして)海外へと出かける風潮は退き、旅行業全体が沈滞ムードに陥っていた。「有限会社楽園企画」もそんな旅行代理店のひとつで、年輩の父親がひとり切り盛りし、妻は仕事にはタッチせず小百合という名の娘も名義だけの社員といった経営体制では、低価格化が進む旅行業の中で生き残れるはずがなく、つぶれかかっていた。

 これに加えて父親が体を悪くして入院してしまうという事態が発生。おまけに積み重ねていた借金の返済が間近にせまって、ともすれば夜逃げも必至といった状態に陥った旅行代理店側では、娘がかつて結婚していた川江務に頼んで父親が仕事へと復帰できるまでの間、会社の面倒を見てもらうことにした。面倒を押しつけようとした、とも言い換えられるけれどこれは務には内緒の話。ともあれ務は社長代理として「楽園企画」に通うことになった。

 そこにやって来たのが「楽園企画」に金を貸している金融業者、ローンズ・キクチの社長の菊池と担当の浅田。いかにもやり手という顔をした2人組で、半ば強引に社長代理の席に座らされた川江務に対して即座に借金を返すように迫ったものの、「楽園企画」としても当然ながらない袖は振りようがない。ところが、別れたといっても元妻が二枚目揃いの相手に横で関心を示し、また相手のどこか自分を見下したような態度も気に障ってか、務は「新しいタイプのツアーを企画中」と言い出し、「南アルプス縦断の旅」をとっさに提案。そんな企画が成功するとは信じられないと訝るローンズ・キクチの2人を、「体験してよ、できないの、体力ないんだね」と挑発してはツアーを体験させることに成功してしまう。

 そんなこんなで急場をしのいだ務だったけれど、住んでいるマンションへと戻ってそこで妻のある菊池とそして部下の浅田が2人そろっている場面に遭遇。かつ2人がアヤシイ関係にあることが分かってしまった。そこから話は、単なる貸し手と借り手の関係以上に、務と小百合のカップルと、菊池と浅田のカップルの関係は深まり、さらに菊池の妻が絡みなおかつ菊池の妻の夫以上に想いを寄せる相手の姿も浮かんできて、複雑化し錯綜しつつ第2巻へと受け継がれる。

 男たちのあわてふためきぶりをよそに、すさまじくも素晴らしいのが小百合のキャラクターで、別れた亭主を社長に据えて借金の連帯保証人にしてしまって引きずり込んだのはすでに説明したとおり。代金を払うのがもったいないからと、父親の葬式代を踏み倒して夜逃げしたりとやり放題なのもすごいし、母親を連れて転がり込んだ先が別れた元夫の務の部屋(隣は浅田)というのもやっぱりすごい。おまけに顔が今市子の描く人間のキャラクターの中でも屈指の美女だったりして、見て目に嬉しく読んで腹におかしく、何度も何度もページをめくり返してしまう。次巻以降にどんな悪賢さを見せてくれるのか楽しみで楽しみで仕方がない。

 タイトルにもなっている「楽園まであともうちょっと」という言葉が示す山登りの快楽も読みどころのひとつ。長い距離を延々と、ただひたすらに上り続けた果てにたどり着ける360度開けた視界、その先でたなびく雲海や延びる稜線の美しさは、想像するだけで心を安らかにさせる。唐変木の浅田ですらも少しだけだったかもしれないけれど心を動かしたくらいだし。

 そうした感動へのプロセスを例えば登山靴だったりルートだったり登山中の登山家の心理状態といった部分でしっかり固める勉強ぶりにも感心。開襟シャツやTシャツにスラックスで穂高ゴールデントライアングルへとヤクザ御一行を登らせてしまうのは何だけど、苦楽をともにしてこそ得られるものがある、というメッセージだけは伝わってきて山登りへの興味を少しだけかき立てられる。第2巻以降で繰り広げられる男と男に絡む女の心の錯綜にも期待しつつ、山登りの面白さにも目を向けて行きたい。


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