ミステリと言う勿れ

 ミステリと言う勿れ、勿れ。  つまりは、ミステリとしか言えないような本格的なミステリマンガを、「BASARA」や「7SEEDS」といった大ヒット作を幾つも送り出している田村由美が描いていたとは、何というマンガ家としてのジャンルの幅広さかと驚くことしきり。そのマンガ『ミステリと言う勿れ』(小学館、1−3巻各429円)は、事件が起こって探偵が現れ推理し証拠を突きつけ真相へと迫るミステリの、まさに神髄といったものを余すことろなく楽しめる。

 カレー日和だと言って、カレーを作り始めた大学生の久能整(ととのう)が住む部屋に警察がやって来て、近所で大学の同窓らしい寒河江健という人物が殺害されていて、整がその犯人かもしれないといった疑いをかけられ、警察署で事情聴取を受けることになった。

 特徴的なアフロヘアの人間が、寒河江と言い争っている姿を見たという証言があり、高校時代も同窓で寒河江とは顔見知りだったちう状況があり、さらにその寒河江に対して整はあまり良い感情を持っていないことも知られてしまった。これでアリバイもないとくれば、警察だって当然に疑ってかかる。けれども、整だけは自分がやっていないことを知っている。

 では誰が、といったところで整は取調室に座って、次々に事情聴取にやって来る刑事たちと対話をして、自分を犯人だと疑うような理由が実はそれほど確固たるものではないことを指摘していく。それとは別に、周囲で繰り広げられる会話を聡く耳に入れては、そこから個々の刑事のお悩み相談のようなことも結果としてやって、疑いとは裏腹の信頼のようなものも得ていってしまう。

 とはいえ、アリバイがないことだけでなく、寒河江を刺したナイフから整の指紋も発見されては、もはや言い逃れはできない。それでも整は冤罪を自白はしない。そうではない理由を語り対話をし続けていった果て、ある刑事の言動からひとつの答えを導き出し、そのまま自分の冤罪を晴らしてしまう。

 決定的とも言える指紋がついたナイフがあっても、整は動じない。流されもしない。そんなものを冷静な殺人犯が残すはずがないという理屈を繰り出し、だったら誰かが侵入した可能性があるという類推を示し、どうして部屋に入れたのか、そういえば家の鍵を落としたことがあった、それは誰に拾われたのかといった流れを作り、自分の部屋の間取りをなぜか言えてしまった人間の存在から、誰かが自分を陥れようとしているのだと看破する。

 観察と類推。対話と分析。そうした推理によってひとつの事件を解決していく見事さは、小説でも映画でも多々あるミステリのジャンルにマンガとして大きな存在感を示した。続くエピソードで整は、飛び乗ったバスがバスジャックにあってどこかへと連れて行かれる事件い巻き込まれ、そこで巡らされていたとある殺人の犯人捜しを部外者ながらも解決して、探偵役としての実力のほどを改めて見せつける。

 その成果を買われ、今度は広島の旧家で起こった遺産相続をめぐる親族間の血みどろの抗争めいた一件の、誰かの疑心暗鬼によって本当に起こっていかもしれない事態を止め、その遠因となったある事故の理由を解き明かし、古くからその家に伝わっていた陰惨な振る舞いを暴いてしまう。とはいえ、そうした事件に整が主体として積極的に絡むことはない。どこか巻き込まれた傍観者として関わざるを得ないところが体質なのか運命なのか。なかなかに難儀な人生を生きるキャラクターだ。

 そもそもが広島行きすらも、半ば誘導されるようでもあったというから翻弄されるキャラクターであることは確実だ。その上、広島へと向かう新幹線の中でも、乗り合わせた女性が生き別れの父親から受け取っていた手紙の文面と添えられたイラストの“矛盾”を発見し、さらに何が起こっていたかまで類推してしまった。これもある主の運命か。

 こんな具合に、ある種の天才が巻き込まれながらも事件を解き明かしていく楽しさを味わいつつ、そのふわっとしたキャラクターがもしかしたら秘めているかもしれない謎なり真相が浮かび上がって来る今後を読みたい。まずは広島の一件がどこに帰結するかが気になるところ。整を遠くから誘い導いているような節もある犬堂我路という人物の今後の関わり具合も含めて、第4巻以降の刊行が今は待ち遠しい。


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