ミハスの落日

 道で男と女が出会い頭にぶつかって、恋が芽生えるのがラブコメの世界。女が食パンでもくわえていたらもう最高のシチュエーションで、吹き飛ぶパンが男の顔を覆い尽くし、振り払うと目の前にはスカートから突き出た2本の脚、その開いた奥に見えるイチゴだが、水玉だか純白の布地が2人の間を一気に親密なものへと進ませる。

 これがミステリーになるとまるで違った展開が待ち受ける。道で男と女がぶつかって生まれるのは血なまぐさい事件と命が失われる哀しみだ。たとえば貫井徳郎の「ミハスの落日」(新潮社、1400円)。世界の5つの都市を舞台に起こる男女の絡んだ事件をつづった短編集で、表題作「ミハスの落日」ではバルセロナの道端で男と女がぶつかった場面から、ひとつの哀しみが生まれ永遠のドラマとなって時間を覆う。

 今は実業家として大成功している老人が、まだ若かった頃にバルセロナでぶつかった女性が彼のことを知っていた。やがて幼い頃を共に過ごした友人だと分かり、当時も抱いていた好意が恋心となって2人の間に漂い始める。

 ところが、幼い2人が別れることになった頃に起こったひとつの事件が、楽しかった当時の記憶に染みだして来て2人の間に亀裂を作る。それは女が息子を残して世を去り、男が老人となってスペインのミマスへと隠遁している現代へとつながる。

 あの幼い頃に2人が遭遇し密室での殺人事件が意味していたものは何だったのか。そしてその真相は。すべてが時の彼方へと押し流されてしまった現代に立ち、もはや誤解の永遠に解かれることがない残酷さを痛感して、衝動から生まれる青臭い正義感の愚かさを噛みしめることになるだろう。

 そして「カイロの残照」。大学卒業を控えて旅行代理店への就職が決まった青年が、エジプト王朝の遺跡が残るルクソールへと自主研修の旅に赴いた先でぶつかった女性は、ゼミの同級生で青年が密かに心を惹かれていた人だった。そこでの縁を逃すことなく、憧れの君との結婚を果たし、今はカイロに家も持ち幸せに暮らしていた男にやがて悲劇が訪れる

 アメリカから来た女性のガイドを引き受けたこところ、女性は夫がヘロインに魅入られエジプトへと失踪してしまったと告げ、ガイドに夫の行方を捜して欲しいと依頼する。高額な報酬に釣られて男はアメリカ人女性に協力するが、その先には深い陥穽が男を待ち受けていた。

 始まりはルクソールでの幸運な邂逅。その出会いが男の過去にもたらしたとある出来事が、廻り廻って男から幸運を奪い、慟哭の渦へと叩き込む。因果応報とはまさにこのこと。ラブコメのようなすべてが幸運へと収束していくドラマなど存在しないのだ。ミステリーの世界にも、そして現実のこの世の中にも。

 3人続けて夫が事故死するという悲運に見舞われた、美しい女性に付きまとう暗い影のその裏側に、無邪気さと純真さから生まれた毒が立ち上って心を闇色に染める「サンフランシスコの深い闇」。ビデオ店に客として来た美しい女性に抱いた、店員の男による妄執が惨劇を招く「ストックホルムの埋み火」。男と女の出会いはともに事件へと進んでいく。

 心の壊れた男女がインドネシアの売春宿で肌を寄せ合う「ジャカルタの黎明」も同様。そして事件は真相を暴かれ、幸せを求めて得られない男と女の悲しい様が浮かび上がる。推理作家だけあって、ミステリー的な謎解きの楽しみはどの短編にも盛り込まれているが、それよりもまず突きつけら、身へと迫るのが人間の生と性への渇望だ。それらがもたらす殺伐とした風景に男との、あるいは女との出会いを安易には喜べなくなる自分がいる。

 逆転の鮮やかさと恐ろしさでは「カイロの残照」が抜きんでた印象。「ミハスの落日」は謎解きとしてやや反則ながらも、純粋な正義の秘める残酷さに心を痛めつけられる。純粋さ秘める恐怖に苦悩させられる「サンフランシスコの深い闇」も読後の重さでは他に負けない。

 いずれにしても、男と女がぶつかりあっても幸運など訪れない、ろくなことが起こらないんだと教えられる短編集。ミステリーの世界でも現実の世界でもこれが当たり前だとするならば、人間はもう何かを期待して道路の角に全力疾走で飛び込めない。せめてパンをくわえていてさえすれば、シリアスで残酷な「ミハスの落日」のような展開は避けられるかもしれないが。

 急ぐ時は口に食パンを。


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