M.G.H
HEAVEN IN THE MIRROR

 「文学の中ではSFだけが普遍的に思考を伝えることができる。なぜかわかるかね?」。そう問いかけたのは科学者として功成り名遂げつつ、別にSF小説も書く朱鷺人数馬博士だった。彼はこう続けた。「なぜなら、SFは世界そのものを定義する文学だからだ」。

 併行宇宙でも超光速移動でも、現実世界ではあり得ない法則、起こり得ない事象に支配された世界を定義し、そんな世界を当然のものと受け止めている登場人物たちを創造する思考の過程がそのまま「小説」となったSFこそが、既存の世界に縛られる普通一般の小説なり論文なりとは決定的に違って、普遍的な思考を伝えられる表現手段だと言いたいらしい。

 自身のSF観とも言える言葉を、登場人物に語らせてしまった三雲岳人の日本SF新人賞受賞作「M.G.H」(『SF Japan』所収、徳間書店、1429円)にだから、SFファンが「いったいどんな思考の過程を見せてくれるのか」「いったいどんな世界を創りあげたのか」と期待して当然だ。そして読後感から言うならば、「異世界」という言葉で例えられる普遍的な思考によって生み出されたビジョン、別に例えるなら「センス・オブ・ワンダー」の一端がほのかに覗きかけたという印象で、なるほど「M.G.H」はSFであったと言えなくもない。ほのかに、という言葉が切り放せないが。

 空に宇宙ステーションが浮かぶ時代。けれども行くには数千万円が必要で、宇宙旅行は未だ高嶺の花という近未来を背景にした「M.G.H」で冒頭から繰り広げられるのは、科学者として大学で研究を続けている青年・凌の元に従妹の舞が訪ねて来て、大変な難題を持ち込む場面だった。どうやら舞は凌に関心があり、政府が募った結婚したてのカップルを宇宙ステーションに招待するというイベントに当選したことを凌には隠し、大変な倍率だと思っている凌に当選したなら偽装結婚でもして宇宙ステーションに行って構わないと言わせてしまった。

 宇宙へと舞台を移した2人の前に出現したのは、無重力状態のステーションであるにも関わらず、どう見ても高い場所から落ちたとしか見えない死体だった。犯人はいったい誰なのか。冒頭で引用したSFに関する定義を発した、宇宙ステーションの研究所で所長を務める朱鷺任数馬博士かもしれず、あるいは死んだ研究者の息子らしいミュージシャンかもしれなかった。謎めいた事件を解決するために凌は動きだし、やがて真相にたどり着き、「それではお集まりの皆さん」とばかりに解決の言葉を話し始めた。

 「日本SF新人賞」の選考委員だった神林長平が寄せた選評に、主人公の凌が世界を仕事も女性もフラットにしか見られない性格であることを気にしている部分があり、クールというよりはどこか希薄な凌の設定に疑問を投げかけている。導入部から事件が起こってやがて謎解きへと至る過程で、凌がどうして探偵役を務めなくてはならないのか、決して舞が巻き込まれた訳でもなく、もちろん自分が嫌疑をかけられた訳でもないのに、行き当たった程度の状況で何故か積極的に事件の真相を見つけようと行動する、そのプロセスがよく見えない。

 それを言ったら探偵小説でも成り立たなうなる作品があるだろうから妥協はしよう。人間の精神をコンピューター上のエージェント「アプリカント」に移植したいと考え、実行に移そうとする朱鷺任博士の行動から、何か根本的な人間生命の本質、すなわち人間を規定するものは魂なのか記憶なのか脳なのか情報なのか、といった極めてSF的な課題を浮かび上がらせ、ハッとさせる。とはいえその割には、決して難しい思考が問答のような形で開陳されるでもなく、すんなりとエンディングへと向かってしまう辺りに釈然としない気分を感じる。

 藤崎慎吾の「クリスタル・サイレンス」(朝日ソノラマ)では名うてのハッカーがやはりネット上に思考を移して身軽になったと喜ぶシチュエーションがあったが、この場合は情報こそがアイデンティティーと認識していた男だからこその行動と理解できる部分が読めて納得えきた。対するに「M.G.H」では、疑念として提示はされるものの明確な解答は与えられる訳ではない。”墜落死”の真相部分で、人間の存在意義をどこに認めるかという問いかけがあって、複眼的に様々な角度からアプローチされているのだと読んで読めなくもないが、探偵役の凌自身がその点について深い思考はしておらず、少しばかり拍子抜けする。

 トリックにしても動機にしても、主人公はともかく脇役たちのキャラクターにしても結構しっかり描かれているのだが、それらを貫く串がなく、うっすらと関連してはいるものの容易には結びつけ難い点で全体に希薄さが残る。凌には過去に何か事件めいたものがあったらしいエピソードがほのめかされてはいるが、前作があったかのような、ありは外伝が存在するかのような繰り出され方がされていたため戸惑う。

 それでも現段階では経験が難しい宇宙ステーションという”異世界”を創造し、地球からではステーションが空を回っているように見えても、ステーションからは地球が回っているのだと認識できる、そんな地上ではなかなか理解の及ばない相対的な関係を思い起こさせる事件を起こして解決してみせた展開には、冒頭に掲げた数馬博士が言った「世界そのものの定義」を介して読者に普遍的な思考を行わせる効果がある。

 トリックの意外性と合理性がともに満たされた展開に、SF的な世界を使ったミステリーと言う指摘があって当然だが、ほのかに見せてくれた思考の過程をよりどころにして、自身が登場人物に語らせた定義に合致し、また「センス・オブ・ワンダー」を感じさせる意味から、「SF」として世に登場したことへの異論はこの際抜きにして、以後も普遍的な思考を見せ読ませ続けてくれることに期待しよう。


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