メドゥサ、鏡をごらん

 ちりばめられた謎の数々が、ラストシーンですべて解き明かされる瞬間に、はじめて楽しい時間を過ごせたんだなあという気になる。そんな軽薄短小なミステリー読みが、謎が謎を呼ぶ展開にぐいぐいと引っ張られ、次々とページをめくらされ、挙げ句に謎はすべて謎のまま、なんにもない場所にポンと放り出されてしまった時、楽しかった読書の時間が、とたんに虚ろな、哀しく、恐ろしい時間だったように思えて来る。

 慌ててページをめくりなおして、どこか読み落としていたのだろうか、間違えて読んでいたのだろうかと考えてみるが、いっこうに思い当たる節がない。想像しない読者が怠慢のそしりを免れ得ぬことは百も承知、作者に意図を聞くことなどもってのほかの反則技だと知ってはいても、何故なんだ、どうしてなんだと大きな声で叫びだしたくなる。

 だが「ファンタジー」でも良い、「SF」でも良い、「ホラー」でも良い、「純文学」でも良いから、とにかく「ミステリー」という名前以外の看板を取り出して掲げてみると、謎は謎でもなんでもなくなり、虚ろな、哀しく、恐ろしかった時間も、あふれる創造力が生み出した豊富なビジョンに翻弄された、充実した時間へと代わってしまう。

 「ミステリー」が「ファンタジー」でも「SF」でも「ホラー」でも「純文学」でも、「小説」であることにはなんら違いはなく、そうしたレッテルによって中身に差異を感じることは間違いだと、心の奥底で思おうとしても、生来の読書で刷り込まれてしまったレッテルへの先入観は、そうそう容易に拭えるものではないらしい。

 井上夢人はもっぱらミステリー畑の人として認識され、その作品には必ず犯罪と謎があり、最後に必ず犯人が現れ謎が解決されるものだと思いこんでいた。そうした先入観は、「SF」に極めて近い、というより純然たる「SF」である「クラインの壷」(岡嶋二人名義だが実質的には井上の作品)から「ダレカガナカニイル」、「パワーオフ」といった作品を読んで来ても、やはり頭の隅にこびりついていた。

 最新作の「メドゥサ、鏡をごらん」(双葉社、1800円)を手に取り、半ばまで読み進んでいった時も、そうした先入観は微塵もゆるがなかったし、むしろ「クラインの壷」や「パワーオフ」といった作品群より、よほど「ミステリー」ではないかと感じたくらいだった。だが途中から、本書でいえば5分の4を読み進んだあたりから、これは果たして「ミステリー」なんだろうかという思いがむくむくと湧いて来た。

 「ミステリー」として読んだら、きっと最後に突き放されて、虚ろな気持ちに追い込まれるかもしれない。そう思いながらも、スカっとした謎の解明を期待して最後まで読み進み、よけい自分で自分を居心地の悪い場所へと追い込んでしまった。

 物語は冒頭、藤井陽造という作家が全身をコンクリートに覆われた姿で死んでいた場面から始まる。奇妙な死体に他殺の可能性も示唆されたが、自らを「石」とする計画が綴られたメモ帳の存在と、遺書にも似た紙片がおさめられたガラス瓶がコンクリートから見つかったことから、警察は藤井の死を自殺だったと断定する。紙片にはこう書かれていた。「メドゥサを見た」。

 以後、物語は藤井の娘の菜名子とつき合っているフリーライターの視点で描かれていく。藤井がメモに残していた絶筆の小説を探し歩くフリーライターだったが、藤井が取材して歩いた足跡を後追いして行くうちに、菜名子との奇妙な行き違いが興ったり、記憶がぽっかり1日抜けてしまったりと、不思議なことが身の回りに起こり始める。

 やがてフリーラーターは23年前に田舎を舞台にして起こった少女の哀しい死と、その後の恐ろしい事件の数々を知ることになる。次々と死んでいく人々の列に、やがて自分も仲間入りするのではないかと脅えながらも、フリーライターは菜名子のために、藤井が追い求めていた謎の究明に邁進する。だが謎は、1つ、また1つと新たに積み重なって行き、フリーライターの頭を混乱の渦へと落とすのだった。

 タイトルにもある「メドゥサ」というキーワードが象徴するものが、しだいに見えてくるに従って、ストーリーはがぜん緊迫感を増してくるが、それに反比例するかのように、「ミステリー」につい求めてしまう現実世界との整合性が、どんどんと歪み崩れていってしまい、おや、という気にさせられる。いけないことだと解っていても、決して切り放すことの出来ない「差別」の心の卑しさが、「メドゥサ」というキーワードが繰り返し語られる中で、心の表層へと浮かび上がって来て、どうにもやるせない思いにとらわれる。

 小説が終わりへと至り、そこに描き出された一切の救いがない結末に、やるせなさがいっそう募る。浄化されず、昇華もされない魂が後に残り、虚ろな、哀しく、恐ろしい時間だけが記憶に刻み込まれる。軽薄短小なミステリー読みのモードでは、この結末は正直言ってキツかった。

 これが重厚長大なSF読みのモードだったら、幻視に遊ぶファンタジー読みのモードだったら、恐がらせてくれれば他になにもいらないホラー読みのモードだったら、表層の物語よりも観念を重視する純文学読みのモードだったら、あるいは作者が伝えようとしていたメッセージを、見いだし得たかもしれない。

 しかし、謎を散りばめページを次々をめくらせる井上夢人のペンの冴えが、第1回目の通読では、ミステリー以外のモードを選択することを許さなかった。虚ろな空間に放り出され、哀しい気持ちに押しつぶされそうになり、恐ろしさにおびえている今の心が、しばらくたって平常心を取り戻すことが出来たなら、今度は別のモードで、そう、例えば「SF」の、若しくは「ホラー」のモードで、2回、3回と読み直して行きたい。


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