魔天楼
薬師寺涼子の怪奇事件簿

 就職試験では希望する大手マスコミにことごとく振られた自分だが、希望もしていない警察官の採用試験には2度受けて2度通った。1度目は高校卒業時で2度目は大学卒業時。警察官をしていた親が、勤務する署の「リクルート成績」を稼ぐのに協力しただけだから、はじめから行く気はさらさらなかった。

 しかし、なんら世間に役立つ仕事をしないまま、だらだらと30過ぎまで来てしまうと、あの時仮に警察官への道を進んでいたら、もしかしたら何とか署の刑事課に配属されて、ミステリーの敏腕刑事よろしく、名(迷)推理なんぞを働かせて、ばりばりとホシを挙げていたかもしれないという幻想が頭をよぎって、しまったなあという気になってくる。

 もちろん、たとえ県警本部ではない所轄の刑事課だったとしても、30そこそこで配属されるのは、よほど優秀な人材に限られるはずだから、自分がそうなっていた可能性は、万に一つもなかったと確信している。それどころか、日ごろの仕事にプレッシャーに神経をやられ、駐車禁止の車に弾丸をぶちこみ、擦れ違った茶髪には特殊警棒の一撃を加え、挙げ句にフクロにされていたかしれない。

 田中芳樹の文庫特別書き下ろし作品「魔天楼 薬師寺涼子の怪奇事件簿」(講談社文庫、540円)に登場する泉田準一郎警部補は、33歳で警視庁刑事部に配属されたというから、大卒のノンキャリアにしてはなかなかの昇進スピードといえるだろう。しかし、将来性豊かと見られていた逸材も、警視庁にその人ありと言われる1人のキャリアの下に配属されたことから、その日の命すら心もとないという事態に、大きく運命を狂わされてしまった。

 泉田警部補の将来を奪ったキャリアの名前は薬師寺涼子。東大法学部を優秀な成績で卒業して警察庁に入り、警部補から警部・警視とかけのぼった彼女には、頭の良さだけでなく類希なる美貌と、剣道柔道なんでもござれの運動神経が備わっていた。まさに無敵のキャリアを誇る涼子だが、警視庁では上から下まで、畏怖の念を込めて彼女を「ドラよけお涼」と呼んでいた。

 「ドラキュラもよけて通る」ことから「ドラよけお涼」。その名にふさわしい傍若無人で傲岸不遜な振る舞いで、行く先々でトラブルを引き起こし、警察庁と警視庁を恐怖と戦慄の渦へとたたきこむ。しかしだれも彼女を止められない。祖父の代から続く警備保障会社は、警察からの重要な天下り先となっていて、たとえ上級の警察官僚といえども、警察OBで現在社長を努める涼子の親に気兼ねして、涼子を止められなかったからだ。

 おまけに涼子自身、トラブルはトラブルとして、事件そのものは難事件であろうと怪事件であろうとたちまち解決してしまう優秀な警察官だったから、無理に止めさせるわけにもいかない。もてあました警視庁は、たったい1人の部下をつけて、量子を野放しにしておくことを決定。かくして泉田準一郎は、女王様のお供になって、湾岸に建てられた巨大ビル落成のパーティーに出席し、そこで起こった怪事件に、涼子もろとも巻き込まれることになった。

 美貌のキャリアと敏腕のノンキャリアが事件に挑んで解決する。美貌のキャリア警官のイメージは、シティーハンターの野上冴子のようでもあるし、高飛車かげん理不尽さ具合なら、「女王様の紅い翼」のシャイア・メーソンのようだともいえる。あるいは「お天気お姉さん」とも。つまりはこの「摩天楼」、よくある設定、よくあるキャラクター、よくあるストーリーで、新しいアイディアが何一つない、安易な小説に過ぎないということだ。

 けれども「魔天楼」は、決してつまらない小説ではない。稀代の物語作家である田中芳樹が、肩の力を抜いてさらりと流した小説だけあって、肩のこらない痛快娯楽作品に仕上がっている。キャラクターの高飛車かげんも、いじめのような陰湿さがまったくない爽快そのものの突き抜け方で、抑圧された読者の日ごろのうっぷんを、代わって晴らしてくれているような痛快さを覚えることができる。

 「怪奇事件簿」と銘打たれているからには、「新宿鮫」のような生身の犯罪者を相手に活躍するのではなく、妖怪のような「怪奇」な存在を相手に、その力を発揮していくことになるのだろう。ところが涼子には、今のところ超能力者だとか霊能力者といった力は、まったく与えられていない。該博な知識だけを頼りに敵の弱点を探り出し、偶然も見方につけてあいてを葬り去るのである。「新宿少年探偵団」で4人の子どもが相手にしているような妖怪・怪人の類に、あらゆる権力をその手に握ったキャリア警官が挑むという設定は、敵がキャリアの威光が通じる相手ではないだけに、なんだかもったいない気がする。

 それから、官僚の天下り批判のように、キャラクターではなく作者自身の感情が透けて見えて来る場面があって、ちょっと興ざめする。水戸黄門よろしくバックの大権力者の威光で傍若無人なふるまいをするというのならまだしも理解できるが、天下り先としておろそかにできないという理由だけで、こうも1人の女性に周囲が気を使うものかと、現実に照らし合わせて疑問に思う。昨今の天下り批判を逆説的に取り込んだといえるが、それがかえって「いかにもな」設定になってしまい、時代におもねっているなあと、反発したくなるのである。

 せめて次回作(どうやらそれがありそうな感じ)ではもう少し、涼子の才覚がその理不尽さも含めて存分に発揮される環境を整えるとか、たとえ過去に似た設定があってもかまわないから、シャイア・メーソンに対するイズミ・マキムラのような天敵を涼子に与えて、話を盛り上げて欲しい。田中芳樹の物語作家としてのストーリーテリングの妙味が、いきいきとしたキャラクター描写と相まって、きっとおもしろい娯楽大作が生まれるはずだから。


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