王さんちの勇さま

 伝統や風習には理由がある。迷信に思えても根拠がある。だから形になって伝わっている。守った方が良いと教えられる。

 勇者が魔王を討つのも当然のように理由がある。魔王を討たなければ世界が滅びてしまう。だから勇者は魔王を討ってきた。これまでは。

 けれども、当たり前のことが変わることだってある。理由や根拠が状況に応じてなくなってしまうことだってあったりする。それでも伝統や風習を守るべきか。迷信を守り続けるべきなのか。

 みんなが喜ぶの道があるのなら、誰もが幸せになれる道があるのなら、そちらを選んだ方が良いに決まっている。「Edgeでデュアル新人賞」で徳間デュアル文庫特別賞を受賞した、はむばねの「魔王さんちの勇者さま」(徳間デュアル文庫、648円)に描かれているのも、前例に倣わず今を確かめ、未来を拓くことの大切さだ。

 勇者の家系に生まれた澄人は、16歳になった瞬間に、父親から詳しいことを何も教えられないまま、それが使命だからと言われ、魔王を退治しに異世界へと送り込まれる。普通だったら手にした聖剣のジョンボムで魔王を両断。それでとりあえず「災厄」は封印されて、澄人の子の代になるまで先送りになるはずだった。

 けれども、いきなりの宿命に自分の中で理由を見つけられなかったからか、もともと超然としたところのあったからなのか、澄人はいつもどおりに自分を倒しにきたと思い、待ちかまえていた魔王を相手にしても、剣を振るおうとはしなかった。

 それどころか、魔王の家に居候して、まだ幼い娘のサフラのお世話掛かりになる道を選んだから、魔王も城の魔族たちも驚いた。

 見かけはとても可愛らしいけれど、実は強烈な魔力を秘めているが故に、周囲から畏怖され敬われながらも遠ざけられていたサフラ。そんな空気を敏感に感じ取って、自分は嫌われていると思いこんで、頑なになっていたサフラを相手にしても、魔力を感じる力がない澄人は、のほほんと親切に接していく。

 そんな日々からサフラと澄人の間には、信頼と、それから恋情らしきものが生まれていったけれども、運命は澄人を安閑とした日々に留め置いてはくれなかった。

 魔王を討つのには理由があった。魔王は存在するだけで魔物たちをざわつかせる象徴だった。生かしたままでは魔物が人間たちの間に緊張関係を生みだしてしまう。封印しなければ暴れ出した災厄が、人類のそれこそ3分の1の命を奪う可能性も極めて高い。

 そんな魔王を勇者でなくても倒そうとして、人間の元より魔王を討伐する騎士も送り込まれ来ていた。本来だったらそちらに見方すべき勇者の澄人は、けれども迷っていた。明るそうな魔王にいたいけなサフラをどうして斬れるのか。それで世界を救ってしまって良いのか。

 そこから生まれる澄人の決断。魔王と勇者という、ある意味でファンタジー世界に必須な対立し、相克する存在の記号性を指摘しつつ、その記号性を引き剥がし、のみならずメタ的な状況に収斂させず、魔王も勇者も超えた存在はあり得るのかと模索し、誰しもが幸福になれる道を描き出した、爽やかで前向きな物語が繰り広げられる。

 自分だったらどうするのか? そんな問いを投げかけられている気にもさせられる物語。現実のところ澄人が味わった苦痛に耐えられる自信はないけれど、それでも選びたい澄人の道。なぜなら8年を経たサフラはとてつもなく可愛いのだから。  勇者が勝る美少女はく、伝統が勝てる美少女もなし、ということで


積ん読パラダイスへ戻る