満天の星と青い空

 「天使な小生意気」とか「鋼鉄の華っ柱」といった作品で、広く名を知られた漫画家の西森博之がなぜか小説を書いて刊行した。その「満天の星と青い空」(小学館、1200円)のあとがきによれば、「お茶にごす。」という漫画を描く前に、これを描こうとネームを切ったところ、編集者から半笑いされて引っ込め、「お茶にごす。」に切り替えたという。

 先生でもある漫画家を相手に、半笑いをする編集者も編集者だけれど、そこで怒らず逃げずに「お茶にごす。」を描いてみせた西森博之も、なかなかの胆力の持ち主。編集と漫画家との意志疎通が滞り、揉めるケースもあるだけに、一触即発も心配されたところをどうにか回避して漫画を描き、なおかつ引っ込めた案をこうして小説の形で出してみせた。結果的には一挙両得だったということか。

 半笑いされた時に、それほど怒らなかったのは、これなら漫画で描かずともいずれ小説で書こうと思ったからというのも興味深い点。逆にいうなら、これは漫画ではちょっと描けそうもない題材だと、思ったこともあったのだろう。もしも漫画として「週刊少年サンデー」に掲載された場合、問題作になっただろうと想像できるから。それだけ凄まじい内容を持った作品なのだ、この「満天の星と青い空」は。

 繰り広げられるのは、少年少女たちによる殺し合い。まず空から隕石が落ちてくると予告され、世間は大騒ぎになって、ほとんどあきらめの境地に至るものの、なぜか隕石は地表に落ちず、塵だけが全世界へと広まった。これで安心しようと思ったら甘かった。その塵に大変な秘密があった。

 酸素のある環境で、猛烈に金属を喰らうバクテリアらしいものがそこにはいた。大気圏に突入した隕石が、急速に質量を減らしたのも、バクテリアに分解されたからだとう説も出た。それほどまでに凄まじいバクテリアの蔓延で、地球上から金属という金属が消えてしまう恐れが出てきた。それはまさしく文明の崩壊に繋がる事件だった。

 そんな出来事が起こり始めていた最中に、東京から修学旅行で京都に来ていた少年少女たちは、東京に戻ることもできないまま、旅館で孤立した状況の中、一種のサバイバルを強いられることになる。生徒のひとりの中澤真吾という少年は、感情の起伏に乏しく、ドキドキしたことがないという性格。隕石が落ちてくる瞬間ですら、感情が動かなかった彼は、世界が滅びようとする中でも、淡々として状況を眺め、その冷静というより平板な心理で事態に臨む。

 真吾の周辺にいたのは、水上鈴音という少女。小動物のようにおどおどとして、誰にでも親切で優しい性格の彼女は、研究者だった父親からバクテリアの話を聞き、すぐに食糧を買い集めろと指示されて、真吾や彼の友人の横川らと相談して、事が明らかになる前に修学旅行先で食糧を買いだめする。

 やがて事態が明るみに出て、社会活動が途絶えて食糧も満足に得られなくなった旅館では、同じ学校の生徒たちや教員たちの間に、殺伐とした雰囲気が漂い始める。真吾や横川、鈴音はらそんな中、食糧を保って沈黙していたけれど、いたたまれない空気の中を絶えきれず、鈴音は保存しておいた食料を、クラスメートたちに分け与えてしまう。

 何てことをするんだ? そう憤るかと思いきや、感情に乏しい真吾は合理的に考えれば不必要と思える行為に、鈴音が踏み込んでいく姿を興味深く感じ、横川も殺伐とした空気が収まったことで、仕方がないと受け入れる。そして、東京に戻ろうとして旅館を出て歩き始めた生徒たちから、唐突に金閣寺を見たいと言いだした真吾と、鈴音や横川、北島、榎本、中川と理英子の7人は、他の面々と別れて金閣寺を見て、それから本格的に東京へと向かい歩き始める。その途中、食糧を求めて襲撃してくる少年グループと戦うことになる。

 空腹から理性というたががはずれ、法律という制約も消えかかった世界で人間は、動物としての本能を浮かび上がらせ、獣と化して噛み合い、奪い合い、殺し合うことになるのだろうかか。そんな想像を抱かせながら進んだ物語で、真吾たちを襲ったグループは、真吾の類い希なる身体能力と、危険察知能力によって撃退された後、人間らしい復讐心を燃やして、何度も繰り返し真吾たちを襲うようになる。

 満たされればそこで止め、敗れればそこで諦めるのが、どちらかといえば獣の本能というものだろう。しつこく真吾たちを追いかけて来る集団のしつこさは、だから人間らしさの象徴なのかもしれない。理性が衰え、法の縛りが消えても、感情という衝動の源は消えない。だから必要以上に奪い合い、殺し合う。人間というものの本質を見せられる。

 そんな奴らを撃退し、立ち上がれないように壊したがる真吾は、理性はあっても情には乏しい、生物というよりロボットに近い合理性に包まれている。そんな真吾を押しとどめ、集団を助けようとする鈴音の心理は、人間としての第一線を守ろうとする情動の現れと言って良い。少年グループの暴虐と鈴音の自愛。人間の2つの顔が見て取れる。

 アクシデントから真吾ひとり離れてしまった一行の、残る6人は障害を乗り越え東京へとたどり着けたのか。そして人類の行く末は。感情によって憤り、感情によって押しとどめることができる人類だから、状況に翻弄されることなく、したたかに生き延びていけそうだ。

 そんな世界を見て、どこまでも感情を動かさずにいた真吾は、起こった事態の中、続く旅の過程で果たして、心に望んでいた「ドキドキ」を育ませることができたのか。読んで想像し、そして確かめよう。


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