メイド・マシンガン

 メイド喫茶に、行ったことがありません。

 行きたくない訳じゃないんです。行くのがちょっと恐いんです。だってだって。メイドの人が。リアルな肉体を持ったメイド服姿の女の子たちが。リアルな声で中に入るなり「おかえりなさいませご主人さま」って声をかけて来るんですよ。どんな顔をすれば良いのか迷ってしまいます。ニヤければ笑われます。強ばらせれば引かれます。迷って悩んで貧血を起こして倒れてしまうんじゃないでしょうか。

 それだけなら、何とか持ちこたえられるかもしれません。でも、席についたらそこで「ご注文は」って聞かれるんです。それに返事をするんでる。リアル会話です。カンバセーションです。生きて来てこれまで女性となんて、それも年若の女の子となんて会話したことのない人間には、これはもはや拷問です。はっきりいって無理難題です。今度は頭に血が上って卒倒してしまうんじゃないでしょうか。

 そこもどうにか耐えられるかもしれません。深呼吸をすれば息も落ち着きます。そして注文をします。「オムライス」。そこでまた言われます。「どんな絵を描きましょうかご主人様」。どんな絵を描いてもらえば良いんでしょう。趣味を問われます。「ドラえもん」なんて言ったら、このド阿呆がと蔑まれるに違いありません。「のらくろ」じゃあ通じません。通じて「田川水泡のでしょうかそれともアニメの?」って答えられたらなお困ったことになりそうですが。

 だからといって「ハッ、ハルヒがまたよからぬことを思いついてキョンたちに披露しならがみくるちゃんお顔を引っ張っている時のニンマリとした表情を」って言っても良いんでしょうか。「わかりましたご主人様」って笑顔で答えてくれた次の瞬間、脇をちょっとだけ向いて「チッ」とか舌打ちされたら、この後に7回輪廻転生しても立ち直れないくらいの傷を、心に負うことになるでしょう。蛇になってもミジンコになっても自分は駄目だ、駄目人間だ(ミジンコだよ)と思って水の底に、沈みっぱなしで生涯を終えることになるに違いありません。

 大丈夫です。安心してください。メイド喫茶のメイドはご主人様を不安がらせるようなことは絶対にいたしません、ですって? メイド喫茶勤務の現役メイドのありやさんが書いた「メイド・マシンガン」(講談社、1300円)を読めば、メイドがどれだけ自分たちの仕事に誇りを持っているかが分かります、ですって? そこにはメイド喫茶の入り方からメイドの方々の生態に、メイドの方々の思考にメイドの方々の心情の、すべてが明かされていますって?

 何と素晴らしい! 分かりました。読んでみます。読んで勉強してリアル女の子のメイドを相手に言葉を発し、物を頼むという恐怖を克服してみせようじゃありませんか。なになに「『弱ヨガファイヤーから飛び込んだら昇竜拳で迎撃されたダルムシの表情』とかマニアックな注文をしてもいいですが、たぶん笑って誤魔化されます。メイドは優しいので顔には出さないと思いますが、ちょっぴり困っているはずです」ですって?

 困りました。これではちょっと頼めません。ハルヒが学園祭でしわくちゃにしてシャウトした時の顔とか、きっと難しすぎて描いてもらえないでしょう。妙ちきりんな注文を出すクズ野郎って思われちゃいます。地べたをはいずりまわって土でも食って生きていろよこのミミズ野郎って蔑まれちゃいます。参りました。困りました。

 ですからそんなことには絶対になりませんって? 挨拶だって演技でもなければ社交辞令でもなく、ちゃんと真心が籠もっているんですって? そうらしいです。メイド喫茶の元祖ともいえるカフェ・メイリッシュに元いた遠藤菜乃さんによると、「その『お帰りなさい』の一言には、お客様に対して『ありがとうございます!』て気持ちがこもっていなきゃいけないんですよ」とか。そうなのです。挨拶ひとつとっても気持ちが込められているのです。

 安心しました。笑顔の裏側なんてないんです。だから無理難題を言って、後でこう思われたんだじゃないかって自己嫌悪に囚われて、三日三晩のたうち回らなくって済みそうです。でもでもはしゃぎすぎてはいけません。注意は必要。「節度を守って羽目をはずす」。これがメイド喫茶を嗜む上での鉄則です。破っては行けない鉄の掟なのです。ちなみに節度というのは、携帯電話のカメラでメイドを撮らないとかいったことも含みます。撮ると戦場送りだそうですから要注意です。サー・イエッ・サーな世界です。「上官からあんぱんを両手いっぱい渡されて『一分で食べろ』とかイジメられ」るのです。

 ともあれとっても勉強になります「メイド・マシンガン」。流石に秋葉原のメイド喫茶で働くメイドさんが日々を綴ったエッセイです。メイド喫茶で働く人にはどんな資質が必要だとか(特別なものはいらないし、メイドの歌も別に作れなく立って良し。面接にメイド服着てくるのはもってのほか!)、繁盛するほかのメイド喫茶を回って感じたこととか(向上のためには研究が欠かせないのだ、でも半分は趣味、趣味のメイド喫茶通いが高じてメイド喫茶で働くようになったくらいだし)、読めば読むほどメイドって誇り高き人たちなんだと分かります。メイド喫茶の素晴らしさが見えてきます。是非に行ってみたくなります。

 でも。クライマックスに用意された大スペクタクルが、ちょっと気になります。「メイド・マシンガン」に書かれていることって、本当に本当なのかってもやもやとした気分にさせられます。もしも「ありや」さんが「Aaliyah」さんで、「もっとも高貴なもの」で、身にふりかかった危機にスカートの下からマシンガンを取り出し撃ちまくる、闘うメイドなのだとした? ちょっとやそっとじゃ近寄れません。遠巻きにしてから背を向けスタコラと逃げたくなります。

 いえいえこれはフィクションなんです。フィクションって書いてあるじゃないですか、って言われたら、それはそれで今度はメイドの心構えもメイド喫茶を利用する心得も、全部がフィクションなんじゃないですかって可能性が浮かんで、心を激しく迷わせます。本当はどっちなんでしょう? メイドの方々は本心から「お帰りなさい」って言ってくれているのでしょうか?

 分かりません。見えません。だったらやっぱり行ってみるしかありません。そして頼んでみるしかありません。オムライスを注文して、「メイド服の胸元をのぞき込んで、星型の黒子を探す朝比奈みくるちゃんが、じっと見ているキョンに気づいて頬を赤らめて、あわてふためく表情」をケチャップで描いてと。描いてもらえるでしょうか。笑顔で誤魔化されるでしょうか。振り向かれて「チッ」と舌打ちされるでしょうか。確かめるのが恐いです。でも確かめなくちゃ前に進めません。

 勇気を下さい。メイド喫茶に行く勇気を。


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