ロスト・グレイの静かな夜明け

 竹岡美穂が描く、小舟に乗せられ花で埋め尽くされて瞑目する少女の表紙絵と、そして「ロスト・グレイの静かな夜明け」(集英社、500円)という、どこか深遠さが漂うタイトルに惹かれる人も多そうなこの本は、野村行央による集英社の2011年度ノベル大賞受賞作。死と生という刹那的な主題を含んだストーリーと、深い霧の向こう側に別の世界があるという幻想的な舞台設定が、ティーンの恋愛に向かいがちなコバルト文庫にあって、独特の雰囲気を醸し出している。

 舞台となっている世界には、海の上に“霧の壁”が存在していて、それは飛行機でも船でも絶対に越えられないものとして、生きている人たちに認識されていた。そして、“霧の壁”の向こうへと、天寿を全うできなかった死者を送ると、甦るといった伝承もあって、これまでも死んだ人の亡骸が、海岸から舟で送り出されていた。

 アズサという少女も、そうやって送り出されたひとりだった。両親に愛されて育ったものの、出かけた百貨店で煙に巻かれて、15歳で死んでしまったアズサを可愛そうに思った両親は、彼女を小舟に乗せて花で埋め、“霧の壁”の向こうへと流した。

 ただの伝承なら、そうやって流された遺体はそのまま朽ち、残された人たちの心の中に思い出として存在するアズサなり、死者たちの日々がつづられていくことになる。あるいは、三途の川なり冥府の川にかかって、此岸と彼岸を隔てる概念として、“霧の壁”は捉えられていて、物語はそこから、死後の世界へと移ることになる。

 もっとも、「ロスト・グレイの静かな夜明け」では、そうした観念的だったり、宗教的な概念として“霧の壁”をとらえておらず、本当に実在して、向こう側に行った死者を甦らせるものとして描かれている。そこが少し興味深い。何か仕掛けがあるのか。やはり観念の装置として描いただけなのか。この物語でそういった部分への説明はないだけに、続編があって、そこで明かされるのかもしれない、といった期待が浮かぶ。

 小舟に乗せられ流されたアズサはというと、目覚めた岸部でカーゴという青年と出合い、彼に連れられ森を抜け、そこからはひとりで街へと行く。街に人々が普通に暮らしていて、ときおり送られてきた死者が甦ることを受け入れている様を、アズサは身をもって経験する。

 そしてアズサは、街にある教会で世話を受けるようになり、出かけた先で教会の運営者の知り合いらしい謎めいたサムシィという名の女性と知り合って、彼女がシェフを務めるレストランに、ウエイトレス兼ピアニストとして採用され、働き始める。

 そんな街では昨今、兵器工場が造られ、マニージという名のオーナーが剛腕をふるっていた。体に悪そうな煙を吐いたり、武器を通して戦争に荷担して、間接的に人の命を奪っているといった評判から、一部の人たちにはとても嫌われていたマニージ。とりわけカーゴは、マニージを父のを敵と狙っていて、奪われたという父親の秘蔵の時計を取り換えそうと、いろいろ探っていた。

 もっとも、カーゴと共に教会で育ったスタイフという青年は、そのマニージの下で右腕となって働いていた。確かに戦争の道具を作り、工場を稼働させて公害をまき散らしてはいるけれど、それは雇用につながっているし、子どもたちには未来が必要だと口癖のように言って、支援をしようとしていたと、見かけによらないマニージの善意を列挙する。

 そうした部分では、善と悪の、立場によってはどちらともとれる、その両義性が問われている物語でもありそうな「ロスト・グレイの静かな夜明け」。カーゴの父親にしたところで、放浪していた身をマニージの工場に雇われ職を得て、その対価として時計を渡したようなところもあって、決してマニージに虐げられていた訳ではなかった。

 そもそもが、霧の壁を越えて来たらしいマニージには、その死を悼み悲しむ者たちがいたことになる。一面だけで人を見る愚かさ。そういったものが浮かぶ。紆余曲折を経て時計を手元に取り戻したカーゴにしたところで、浮かぶ感慨はマイナスがゼロになったといったもの。それで良かったのかとカーゴは己に問い直し、何かを作り上げることへと意識を向ける。

 ヒロインのアズサ自身はといえば、今はやや狂言回し的な役割で、カーゴに引っ張られ、スタイフにも引きずられて、振りまわされてばかり。とはいえ、そんな彼女がいたからこそ、カーゴもスタイフもわだかまっていた場所から足を踏み出し、その幸不幸は別にして、次のステップへと向かうことができた。

 今はまだ何も知らない場所で目覚め、始まったばかりの新しい暮らしに戸惑っているアズサも、無能ではなく、ピアノの才能で居場所を見つけてどうにかやっていこうとする。そんな彼女自身の目を通しながら、これからも“霧の壁”を越えて来たり、すでに来ていた人たちの過去を描き、今を問い、やり直せる場を与えられた人間たちが、未来を探って可能性を示す物語になっていくのか。それともアズサ自身の成長の物語に向かうのか。

 だから、是非にも続きを読んでみたい。サムシィという謎めく女性のシェフが見せる、いつも堂々として凛々しい活躍ぶりも楽しみにして。


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